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わたしは、

わたしとは、自分とは。


中学生のとき、まさに中二らしく小説的なものを書いていました。
小説なんて呼べるほどたいそうなものではありませんでしたが、自分の中に浮かんでくるものを文章にして表現することは楽しかったです。
そしてそれを肯定してくれる人がいました。
友達はそうでした。漫画とか好きな子が多かったから、絵も描くし、だからそういうことに肯定的な子ばかりでした。
そして何より、その中に大人がいたことがすごく嬉しかったことを思い出しました。
個人でやっている英語塾があって、わたしは小6から通っていました。
そこの先生はトールペイントの先生もやっていて、さらに陶芸にも興味を持ち、家の新築の際には設計にも携わる、そんな人でした。
英語塾だったのでわたしたち生徒は先生を下の名前で呼び捨てにし、先生もわたしたちを呼び捨てで呼んでいました。

遊んでばかりのレッスンだったのにわたしたちは英語の成績はいつも優秀と言われるレベルでした。
そこでわたしたちは絵を描いては先生に見せ、小説を書いては先生に呼んでもらっていました。
それはそれはお笑いな文章だっただろうに、先生はいつもほめてくれました。
だからあの頃は、素直に気持ちを表現することができた。

その塾は全員中三で卒業してしまうので、それ以来先生にはほとんど会っていません。


昨日久しぶりに何か書いてみようと思って鉛筆を執ってみました。
いつも小説というか、おはなしになってしまうのでこうして日記に書くように自分自身の気持ちをそのまま書いてみようと思ったのですが、できませんでした。

中学時代、自分の思ったこと感じたことは小説として表現されていまいた。
高校に入って、それを書かなくなりました。

今になってあの頃が、どれだけ幸せだったのか思い知りました。


わたしは今きっと、自分を導いてくれる存在が欲しいんです。
あの頃ほめてくれた英語塾の先生のように。
今度は、わたしを諭してくれる人。
「わたしにはこの人しかいない」って言える人が羨ましいやら妬ましいやら。
そんなのただの思い込みだと嘲笑う自分と、そんな自分を悲しく思う自分。
わたしにはわたししかいない、そうとしか思えない。
自分のことをこうやって考えるほどに、誰かのことを想えない。


自分はこんな人間だ、と告白できて、こんな風にしか考えられない人間だと話したうえで
それは違うよと、わたしに理解できる言葉で完璧に論破して、君も大丈夫と言ってくれる人。


そんな人がいたら、なんて思う自分の子供さに嫌気がさします。
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