Bowieには感謝以上の想いがございます。
2016年1月8日。
David Bowie 69歳の誕生日を迎えたと共に、10年振りの復活から2枚目の新譜を発売しました。
世界中のボウイファンと音楽界は再び熱気を帯びて祝福しました。
【これでBowie完全復活確定だ!】
と、誰もが思ったことでしょう。
もちろん僕もその人達と同じで、歓喜しました。
5年前、ニコ動活動を始めてから毎年やっていたBowie放送もいつも通りにやりました(今回は前夜祭もやりましたけど)。
アルバムは事の件を聞かせれる1日前にタワレコ池袋店で購入しました。
この日が休日の1日目だったので。
僕は最初に聴き終えた時、
【なんて難しい作品なんだ。うちにはまだ早いのかもしれない。理解するには聴き込まないとダメだな(´`) なんで今こういうの作ろうと思ったし。】
と、思いました。
同じ日に購入した平沢進さんの新譜の方が全然聴きやすいアルバムだったんです。
でも、Bowie復活確定が嬉しくて、それでも良かったんです。
しかし、
このアルバムを理解するのには、そう時間はいらなかった。
理解するまでの時間。もっと長くても良かったとも思う・・・。
いや、ちょうど良かったのかも・・・?
世間が評論するちょうど直前くらいだっただろうから。
次の日。
日本時間で2016年1月11日夕方6時半ちょっと前頃。
フと携帯を開きました。
異常にメールが入ってるもんだから、とりあえず家族フォルダから消化しようと思って、最初に弟のメールを確認したんです。
【ボウイが、、、】
って来てました。
僕はその時、少し嫌な感じが過ぎったのですが、意味わからななかったので、
【え・・・?】
って送ったんです。
ちなみに今確認しましたが、弟からのメールは僕が確認する30分前に来てました・・・。
返信が来るまで、次の姉からのメールを確認しました。
【デビットボウイ死去だってよ!!】
このメールをみた瞬間、僕は頭が真っ白になりました。
どうやら3分ほど固まってたようです。
だって3分後くらいに返信送った記録残ってるから。
【え・・・どういう・・・え?
ちょっと調べてくる。
調べたくないけど・・・】
って返信しました。
ちなみに、メール文は原文ままです。
次に、生放送の常連さんのメールも確認。
パソコンの方に来ていたツイッターからのメールやダイレクトメッセージも全て確認しました。
「嘘だ!嘘だと言ってくれよ!なんでだよ!嫌だよ!!!あれが最後なんて嫌だよ!!!!」
って涙ちょちょぎれながら叫んでしまいました・・・。
あの時はまだ信じられなかったです。
ヤフーの写真付きのニュース見て涙がボロボロ出てきてさ、
とりあえず気持ちを落ち着かせてから早急に生放送の枠を取りました。
不謹慎だったかもしれない。
でも、僕としてはそうするしか他ありませんでした。
Bowieの実の息子さんの名前を、申し訳ないながら10年もハンネとして使わせてもらってるくらい、
Bowieという人物は僕にとってお父さんのような存在だったから。
居ても立ってもいられないとはこういうことなんです。
とにかく、一人で悲しんで心を痛めてる人を集めて気持ちを静めたかった。
宣伝もできる限りやって、最終的には来場者数は500を達し、
タイムシフト来除者数合わせて600以上のアクセスがございました。
明け方まで追悼放送を行い、12日の昼からまた追悼放送を行いました。
コメントを絶やさずしてくれた方々、ロムってた方々、来場された方々、
本当にありがとうございました。
おかげさまで、気持ちを鎮めることができました。
一度寝て、起きた時の方が喪失感がハンパなかった人が沢山いらっしゃったと聞きます。
僕も寝る時、また波が押し寄せてきて涙が止まらなかった。
起きた時もハンパなかったから、昼頃に再び放送を始めたしだいです。
その日とまた次の日が偶然にも仕事が急遽なくなっちゃって、放送できました。
今年始まって以来すぐのショッキングな出来事でしたね・・・。
今でもまだ癒えない人が沢山いらっしゃるかと思われます。
僕は、
3日目にしてやっと落ち着きました。
それまでは、放送切った途端に泣き出す始末でダメになっていました。
12日の放送では夜に、BowienoドキュメンタリーDVDを流しました。
Bowieの2003年までの人生を追ったドキュメンタリーです。
あれをリスナーさんのみんなと観返して考え方が変わったのかもしれない。
うん・・・。あのドキュメンタリーがキッカケだったのかも。
僕はそれまで
【何でだよ!嫌だよ!あのアルバムが遺作なんて嫌だよ!】
って混乱してた。
でも、12日の放送を終えてやっと気づいたんです。
あの新作でもあった遺作【★(ブラックスター)】は、これ以上ないくらいの完璧な遺作だって。
Bowieは1年半、癌との闘病生活を送っていました。
その間に完成させた作品です。
Bowieはこの作品を遺作として作り上げたんです。
僕が理解できなかったのは当たり前でした。
この作品はBowieが星に還った時にやっと完成するアルバムだったからです。
Bowieが生きている間は、何度聴いても理解できるはずがないんです。
というのがこの作品の真の姿なんだと僕は思います。
少なくとも、Bowie本人は、この作品は遺作にする為に作ったのは事実です。
それは誰が証言しようとしなかろうと、アルバムを聴けばわかることです。
自分の死をも作品にしてしまう、
自分自身の人生そのものを作品にしてしまうっていうのは、
芸術家の極みのようなもので、
ここ何年かで僕も、薄々自分の人生に対して同じような想いを馳せていて、
そういう人生にしたいなって思っていたところでした。
たぶん、Bowieもそんな想いがあったのではないでしょうか。
彼はそれを見事にやってのけてしまったんです。
芸術家の本気です。
僕なんて何もやってないから、こんなすごい人生の作り方できませんけどね。
ほとんどの人もできないと思います。
Bowieは完璧な人生を仕上げてしまった。
作品とも呼べる人生です。
後悔なんてなかったんじゃないかな。
やりたいこと全部やって、綺麗に去ってしまった。
こんなとんでもない人を僕は追っていたんですね・・・。
と感じております。