※恋愛相談
※年下の上司を崇敬
※ホモセクシャル
世の中に『美人』と呼ばれる人は数居るけれど、その中でなんの掛け値も無しに美人と褒められる人はどれ程だろう。
それはきっと本当の美人。
今月からうちで働いてくれているバイトの榎本さん、彼女がそれだった。
彼女は美しい。生まれながらの美人。着飾らなくても分かる美しさ。見た目だけではなく、容姿から口調、髪型から服装、仕事覚えから飲み会でのリアクション、それら全てが彼女を綺麗に見せる。
社内の人間は彼女に夢中だ。
「なんであの子にしたの?」
「なんですか?」
俺が尋ねると堂島は首を傾げて問い返した。
「バイトの榎本さん」
俺が答えると堂島は「ああ」と言って笑った。それはなんとも言えない魅力的な微笑み方だった。
俺は思い出した。この、堂島は、ずっと一緒に居ると忘れそうになるけれど、俺が人生で一度拝めるかどうかのとんでもない色男だった。榎本さんがちょっと美人だからといって、だからきっと、堂島にとってはなんでもないことだし、何か思うようなこともない。
本当の色男。
本当の本当の色男。
はしゃいだ俺は馬鹿みたいだな。
恥ずかしくなって、俺は堂島から目を逸らした。
「聞いたよ。バイトを募集したら何十人って応募があったんだろ。小林さんが泣いてたよ。その中から彼女が選ばれたのは、何か特別な理由があったの?」
「ありましたよ」
「へえ。何?」
「彼女、大学のミスコンで今年優勝したって言ってたんで。いーじゃないですか、バイトが可愛いっていうのは」
堂島は真顔でそう言った。
果たしてそれは冗談か?
俺には分からない。
「まあ、確かに会社の奴らはみんな喜んでるよ。それに俺は堂島のそういう自由さが好きだね」
歓迎会と称して榎本さんを飲み会に誘っては会費を男どもがもつので、他の女性社員がむくれていることには目を瞑ろう。
社長である堂島が好き勝手にやった方が会社にとってプラスになるんだ。俺だけじゃなく、社員の誰だって、あるいはマスコミの連中だってそれを目にし耳にする聴衆だって、堂島が派手に自由に生き生きと経営することを望んでいる。
羨ましいやつめ。
俺は堂島を心底羨んで、そして敬愛した。
「柏木さんは俺のこと褒め過ぎます」
「そうかな」
「今の給料じゃ割りに合わないでしょ」
堂島は気さくに笑った。
「詰まんない話しですよ。実は元から知り合いなんです。コネですね」
「あ、そうなの」
『元から知り合い』というのは、それはそれでセンセーショナルな話題になりそうだけど。榎本さんは現役の女子大生だし、秀麗な彼らが並んでいるところを想像すると中々に壮観だ。
「柏木さん、彼女のこと好きですね」
堂島はそう言って俺を小突いた。
こういう下らなさというか俗っぽいところは堂島の価値を下げてしまうようで俺は好きではない。堂島には威厳とカリスマと余裕を纏っていて欲しいのだ。
堂島は俺に気を許し過ぎている、と思う。
「好きじゃない」
「え?」
「裏がありそうな女は好きじゃない」
俺がむきになって答えると堂島は真顔で「そうなの?」と首を傾げた。
「じゃあどんなのが好きなんですか?」
堂島は左肘を机に付いて俺を眺めた。観察するような目付きには悪意がないから居心地が悪くなる。
『どんなの』って。
お前の言葉には時々愛がないよ。
「堂島が女なら、惚れてたかな」
からかう積もりでそう答えたら、堂島は少し残念がって「男の俺じゃ惚れてくれないんですか?」と言った。その言葉に愛はなくても狡いくらいの魅力はあった。
俺は何かを理解したような気がした。
仕事のことでは如何なるアドバイスも聞き入れない堂島が俺なんかをよく飲みに誘うその理由は、そして彼の信じ難い『悩みの種』は、もしかして。
俺は堂島をそっと見た。
「柏木さんは、もっと、ずっと、俺に惚れ込んでくれてると思ってたのに」
堂島はそう言って静かに笑った。
お前の、その支配的な態度。人間を見下したような目付き。他者を押し潰す威圧感。弱者を顧みない自分勝手な人性。野性で知性を覆い隠したような言葉遣い。それなのに時々見せる優しい顔。
間違いないよ。
お前は正しい。
いつでも正しい。
確かに俺は今日もお前に惚れ込んでいる。
「そうだった。俺は男のお前でも好きだよ」
三十路を越えた男になんて台詞を言わせるんだ。こんなちっぽけな男の悲しい本音を口に出して言わせるなんて、お前は本当に最悪だ。最悪のカリスマだ。
もう、お前がなんだっていいよ。
その代わり、お前は必ず成功するんだろう?
その御相伴に預からせてくれ。
禍福は背中合わせと言うが、堂島の中では禍福が抱き合って愛でも囁き合っているんじゃないのか。お前と会わなければもっと平凡な幸せを手に入れられたって奴が山程いるよ。
俺とかな。
榎本さんなんか問題じゃないくらい、堂島は優れている。
大学のミスコン優勝者を『いーじゃないですか』で採用してしまえる自由さと、それを実現させてしまえる実効性。そしてそれに反対する人間を笑いながらでも排除できる残忍なエゴイズム。
すごいよ、お前は。
最悪な癖して、すごいよ。ほんと。
そうだな。俺はお前を尊敬しているし、愛してるんだろう。だからきっと例え見返りがなくたって俺はお前を褒める。『褒め過ぎる』くらい褒める。
だから、なんだっていいから。
「お前な、もう片想いなんて辞めたらどうだ」
俺が言うと堂島は驚いた顔をして目を見張った。
「なんで片想いだって思うんですか?」
「違うのか」
「先輩は俺のこと好きですよ」
堂島の言う『先輩』というのは、前々から話しに出てくる高校時代の知り合いのことだ。初めてサシで飲みに誘われた時こそ堂島の会社に誘われた時で、仕事や将来のことも話したが、それ以降こいつはこの『先輩』のことばかり話している。
今日だってそうだ。
俺が切り出した榎本さんの話しがせいぜいで、後はきっと『先輩』の話しばかりする積もりだろう。
話しを聞く限り、片想いだとばかり思っていたが違うらしい。
「ごめん、そうだったの。でもそれが“結婚したい”の好きだとは限らないんじゃない?」
俺の堂島に対する『好き』が、ほとんど羨望でできているのと同じように、『先輩』が堂島をどう好きかなんて分からない。いい年齢の大人が恋心ぐらいで人生を選ぶことはないし、結婚できない女との付き合いは、本人がどう思っていたって周りからすれば遊びでしかないのが現実だ。
堂島はカン、と音を立ててまだウイスキーの入ったグラスで机を叩いた。
「でも、“セックスしたい”の好きでした」
堂島は少し怒ったような声音で言った。
馬鹿。
声が大きい。
目立つ男が大きな声で『セックス』と言うとどうなるか。
バーテンダーが顔色を変えずにチラッと堂島を見たのが分かった。たぶん他にも何人か堂島の言葉に反応した人間がいた。そして俺は情けなくて頭を垂れた。
「子どもじゃ、ないんだから……」
ああ、でも堂島はまだ若いんだった。
よく忘れるけど。
「俺と先輩が一緒にいたのは高校生の時だったし、今は全然連絡取ってませんから。子どもの頃で時間が止まってるんです。俺だってそんなのは本意ではありませんよ。でも仕方ないじゃないですか。好きってだけじゃいけませんか」
堂島は相当怒っている様子だ。声に力が入っている。
先々月、バイトが仕事でミスしたのを黙ったままバックれた時もかなり怒っていると思ったけれど、今の方が断然“キレ”ている。
参ったな。
でも今は、そんなことより。
「待って。連絡取ってないの?」
「はい」
今その目をするのか。
敵意のある目で俺を見るなよ。
おかしいだろ。こんなの、おかしいと思うのが普通だろ。絶世の色男が高校時代の恋愛に未練を残して酒を飲むなんて、そんなの絶対におかしいだろ。向こうは殆んど忘れてるんじゃないのか。
世間はそれを片想いって呼んでるよ。
知らなかったか、お前は。
ああ、でも。
ニュースで堂島を知ったら、また会いたくなっている頃かもしれない。
「興信所で探させたら?」
そんなに好きなら、それぐらいしたっていいんじゃないか。どうせ堂島のすることはなんだって女に咎められることはない。
「女の方から擦り寄って来るよ」
俺が笑ってそう言うと、堂島はなお怒った様子で俺を見た。
「それって褒めてくれてるんですか?」
どうかな。
たぶん、違う。褒めてない。
「ごめん。褒めた訳じゃない」
「俺ってなんで恋愛にこんなに不器用なんでしょうか」
なんでって。俺に聞かれても、ねえ。
「堂島は、たぶんね。好かれる恋に慣れていて、好きになることが下手なんだよ。連絡先を知りたがる女を卒なく追い払えても、連絡先を教えてくれない女を求められない。それでも困らないなら良かったけどね」
適当に答えてやる。
堂島は俺のいい加減な意見を聞いて少し怒りのボルテージを下げてくれたらしい。
よく分からん男だ。
「先輩のことはずっと追い掛けてますよ。だいたい俺は柏木さんが思うようには女に好かれません」
「そうかあ?」
「先輩さえ振り向いてくれたら、俺は……」
「止めろって。堂島はモテるよ、それは俺の思い込みじゃない」
「でも、じゃあ、なんで先輩は俺から逃げたんですかね」
いやいや、待て待て。
「なんだ、堂島、逃げられたのか?」
堂島は少し動揺した様子でウイスキーを一口飲んだ。
「柏木さん。今の忘れてください。俺、酔ってますよね」
そういうことにしても良いけど。
今日の堂島はやけに饒舌で面白い。俺の敬愛する『堂島社長』はここにはいないと思って、もう少しこの状況を楽しんでいたい、と俺は考えた。
なあ、楽しませてくれ。
「お前が『先輩』を可愛い可愛いって言うのには聞き飽きてんだよね。その先輩って名前なんて言うの?」
「教えたくありません」
「大丈夫だよ。その先輩と俺で接点があるとは思えないし」
「そうじゃなくて…」
「じゃなきゃもう堂島の愚痴にも惚気にも付き合ってやんねえ」
堂島の愚痴やら惚気を聞きたがる人間は山程いるだろうから俺のこんな脅しに脅威など無い筈だけれど、酔っ払った堂島はしっかり情け無い声で「柏木さん…」と俺を呼んだ。
そんな切ない声で呼ばれたら、俺の男の部分が反応しそうになる。
反応しないけど。
「言うの嫌なんですよ。だって名前言ったら、みんな俺に諦めろって言うから」
ん?
みんな知ってんの?
「なに、有名な人?」
誰?
誰、誰だ?
「そうじゃなくて」
「うん。誰?」
「男なんですよ、先輩」
「はあ」
今度情け無い声を出したのは俺の方だった。
だいたいな、堂島が男を好きなのは有名じゃないか。俺なんか堂島の男好きをネットで初めて知ったんだぞ。お前が男の秘書を雇いたがるから小林さんが頭を悩ませていることも知っている。
何を、今更。
「俺は自分の性別のせいで恋愛が不利になるとは思えません」
お前はなんなんだよ。
いくらなんでもなあ、お前が絶世の色男でもなあ、性別の垣根はデカイんだぞ。知らなかったか。
なんつって。
「そうか。うん」
俺は取り敢えず曖昧に頷いた。
堂島は性別の壁を超えるか?
答えは、イエス。
俺は、悲しいくらいお前に惚れ込んでいるし、お前を信頼しているし、この自分でも訳が分からないくらいの幻想は、お前が男でも女でもいいって答えるんだよ。そのカリスマで、『先輩』のことを手に入れてしまえるお前だから、俺は好きなんだよ。
諦めろなんて言う奴は誰だ?
「なんで手が届かないんだろう。今ここに、先輩が来てくれたらいいのに」
堂島はそう言って笑った。
なんだそれ。
ズルいよな、お前って。
合理主義で残忍でいつも上辺だけで笑ってるようなお前がそんな風に笑うのを、なんで俺だけが知ってしまったんだ。俺に気を許さないでくれ、頼むから。
言っただろ、惚れてるって。
堂島は性別の壁を超えるか?
答えは、イエス。
「すみません。俺、酔ってますね。ちょっとトイレ行ってきます」
「ああ、気を付けて」
堂島はくすりと笑った。
俺は堂島の背中を目で追った。
『なんで手が届かないんだろう』
俺は堂島のその言葉を自問した。