ユーゴは大工の棟梁なので建築現場で働く肉体労働者だ。しかし彼自身は身体も細くて穏やかに笑うからそうは見えない。
「悪いね。怖かったろう」
苦笑いしたユーゴの髪がさらりと肩から落ちた。栗色の髪は毛先が少しくるりと跳ねていてチャーミングだ。現場では一つにまとめているらしいが、下ろしていても女性的という訳でもなく、紳士的に見えて悪くないと思う。
「そうですね。少し驚きました」
ユーゴはふふふと笑った。
「あの、お渡しした設計図、何かダメだったんでしょうか」
ファルコーは相当怒っていて怒り心頭という様子だった。深い群青色の瞳はぐつぐつと煮え立っているような色を見せてユーゴを睨み据えていた。
怖かった。
驚いたなんて曖昧な表現をしなくとも、めちゃくちゃ怖かった。
「ゼオの設計は正しいよ」
ユーゴは優しげに笑んで私の頭を撫でた。その手は初めて会った時に受けた印象よりずっと大きくて傷だらけなので、どこか安心感がある。
大工の手。
私はその手に撫でられながら、お父さんみたいな手だから安心するのかもしれないと思っていた。
とくん、とくん、と脈打つリュウの心臓は、彼がはっきり人間であることを知らしめる。頬はひんやりと冷たかったけれど、首筋は確かに温かかった。
「誰?」
その無機質な言葉が耳に届くより早く、リュウは俺の手首を掴んだ。その指はやはり死人のように冷えている。
「零部のユウ。よろしく」
リュウは訝しんで俺を見た。
「零部?」
俺の手首に絡まるリュウの指はするりと解けた。今度は俺がそれを捕まえる。冷たくて生気のない手は抵抗せずに俺の手に収まった。
「聞いたよ。お前も零部なんだろ」
俺の手首に残る彼の指の痕が、その握力がかなり強いことを示したけれど、死人のような頬と指先はどうしてもまだ冷たかった。
「そう」
リュウは目を伏せて俺の手から逃れた。
「うん、そう。だからよろしく」
リュウは起き上がって「よろしく」と答えた。痣だらけの顔は赤紫や黄土色に染まって、何よりも死人のようだった。
動けない。
すっかり痺れて身動きが取れない。
「よお、何やってんだ、こんなとこで」
背後からジンの愉快そうに弾む声が聞こえた。つう、と背中を冷や汗が流れて、俺は自分の情けないことを深く自覚した。
喰われた。
ジンの白い牙が俺の心臓を貫いた気がした。
皺だらけの一枚の紙の上に「1年2組ケルビ」と書かれている。迫力あるけど丁寧で読みやすい字は事務長そのものを表しているようだ。
俺の字は大雑把でバランスが悪い。
「嫌なら断って良かったんじゃない?」
ランゴスタは俺の入局申請書をぼんやりと眺めながら言った。大きな瞳は鋭く獲物を見据えるけど、小柄で均整の取れた容姿の彼には然ほど威圧感はない。
「いいとか嫌とかじゃねえよ。それを出したら俺の意思なんて関係ないだろ」
「そう、じゃあもらっとく」
ランゴスタは俺を見て微笑んだ。
あ、なんか、ヤバい。
「お前も庶務局やってんの?」
ランゴスタの瞳は深い緑色にも鮮やかな藍色にも変化して、相対する人の目を捕捉して離さず、合わせられた視線が絡み付く縄となってそこから本心を引き擦り出す。
そんな気がする。
「ケルビが入るなら、入ろうかなって思って」
突き出した手に、入局申請書が掲げられていた。
「へー」
痺れる。
思考が、滞る。
「俺はさ、綺麗なものが好きなんだよね」
澄んだ瞳はあっという間に心を捉えた。魅惑的なその囁きは徐に脳を犯した。
痺れる。
痺れた。
動けない。
ランゴスタは一層頬を緩めた。
綺麗なのは、お前だろ。
【美しい麻痺針】