博道は異次元級のバカだ。中学時代のバカな友達ってのは誰にでもいると思うんだけど、博道みたいな異次元の世界からこんにちはしたようなレベルのバカとはそうそう出会えないと思う。
異次元世界から持ってきた空気が博道の周りにはもやもや漂っている。博道はそこに浮かぶ何か不可思議な生物なのだ。
「すげー冷める」
博道がそう言うと、しかし周りの人間は少し緊張して博道を見た。博道に嫌われるということは博道の周りにある愉快な異次元世界に居られないことを意味する。
博道はとんでもないバカなのに、人の心を好き勝手に魅了する。
私も魅了された一人だ。
「なに、ムリって」
博道はご立腹だった。
「楽しいことしようって話してる時に、そういうこと言うのって、なんか、すげー冷めるわ」
博道は私を見た。子供がそうするように不機嫌がそのまま表情に現れている。
私はそれに目線で答える。
はいはい、わかってるよ、っていう意思表示。
「帰ろう。葛城」
博道は本当に沢山の人から好かれるんだけどさ、何かあると私のところへ来るから、贔屓されて特別に可愛がられているように見えるらしい私はなんだかんだで彼が人から好かれるのに比例して嫌われてくんだな。
誤解なのに。
私、葛城みなみ、彼と出会ってからというもの、現在までに実に多数の人間に恨まれています。
今みたいにね。
博道の世界から現実に弾き出された彼らは恨めしげに私を見ていた。
博道を追い駆けると、彼の方もやはり恨めしげに愚痴った。
「サイアク。すげームカつく」
博道の世界には結局博道だけなんだな、と思う。
私はそのことを思い知って悲しくなった。博道のぶっ飛んだ行動に付いて行けるのは世界中を探しても何人かしかいない。博道に惹かれる多くの人達と同様に私はその一人でありたかった。
博道に好かれる女の子は大変だ。
だけどとても羨ましい。
「博道、あんまり我儘言ってると嫌われるんじゃないの」
何したって嫌われないんじゃないかなって思うんだけど、これくらい言わないと調子に乗ってとんでもないことが起こるから、私はいつでも仕方なくそう言う。
博道は詰まらないものを見るような目で私を見た。
「なんかさ、今ので決定的に冷めた」
わかってる。
私じゃ博道の期待にはとても答えられない。
でもさ、なんでだろう。やっぱりどうしても好きなんだよね。博道を知った時から今まで報われたことなんて一度も無いのに、好きになっちゃったんだよね。気になって気になって、それで、ああ、好きなんだって気付いてから、この想いがどうにかなるって思えたことなんて無いんだけど、好きなんだよ。
博道の眼中にさえ入ってないんだろうって分かってても、止まらない。
好きだ。
丁寧に、何度でも、繰り返して伝えたら分かって貰えるかも。
だってそんな諺あったじゃん。
『お前もいいとこあんね』
それだけで良いんだけど、それだけでも恥かしいくらいの高望みなんだよね。分かってる。
博道は私には興味がない。
私は詰まらない人間だ。
博道が異次元世界を漂いたい時に私は彼を現実の海へ突き落としてしまう。私はそれなのに博道がいつか私を好いてくれるんじゃないかって根拠のない幻惑に酔っている。
だって好きなんだよ。
止まんないの。
好かれたいのに、嫌われることばっかしてんの。分かってる。
「なに、お前。泣いてんの」
博道の引き攣った声に振り返ると同時に、私の目からは涙が溢れた。鼻の奥がつんとして、ああもう我慢できないって思った。
「泣いちゃいけないの?」
こんなに悲しい時に、海に沈んだ博道から冷たい目で見られて、それでも我慢してたんだけどね。
いつも、『届け』って願ってた。
私の想いが、博道に。
でも私のしょぼい想いなんて博道の周りの異次元世界には近付くことさえ許されなくて弱く弱く消えて行くだけだ。私の涙みたいに博道には永遠に理解されることなく乾いて落ちる。可哀想だな、私の恋心って。
「博道にそんな態度取られたら、なんか、可哀想になっちゃったんだよね。博道のことが好きで博道の近くに居たいって思ってるのに、博道って冷たいこと言うんだって思ったら、悲しくなっちゃったんだよね」
野生の勘が働いているのか博道は私と一定の距離を保っている。
「博道を愉しませるのに必死でさ、それってすごい悲しいよ」
私が、それだ。
ピエロみたいに踊って戯けて、プレゼントは工夫を凝らしたバルーンアートでさ、博道の笑顔を見れば嬉しくなって、でもいつかは「つまんねー」って言われて、お別れの挨拶の時にもピエロなら笑ってろよって呆れられるんだ。
でも私は博道の奴隷じゃない。
だからって嫌われたい訳はないんだけど、やってることは同じだよね。
「そう説明されても、なんでお前が泣くのか分かんねーんだけど」
博道は私の涙を不可解そうに目で追っている。
「分かんないだろうね」
だって博道には好きで好きで堪んないってことないじゃん。いつも誰かに好かれる方で、いつも誰かを振り回す方じゃん。
博道は不服なのかちょっと眉根を顰めた。
「お前さ、俺がなんか悪いことしたって言いてえの」
『悪いこと』?
「そうじゃない。でもさ、誰だって理解されたくて、でもされなくて。理解したくて、でもできなくて。それでも好きだから、博道のこと裏切りたくないって思ってんの。でも博道はそんなこと分からないまんま、冷めたとか言うじゃん。そういうの、残酷だよ」
傷付いてんのは私だけじゃない。
私は自分が誰のことを話しているのか曖昧なまま、けれど真実と思うことだけを話そうと思った。
博道は私に一歩近付いた。
「それって、お前も俺のこと全部は理解してねーってことだけど」
「当たり前でしょう」
100パーセントなんて有り得ない。
「お前さあ、お前って、俺のことどう思ってんの」
え?
なんで?
なんで今そんなこと言うの。
「残酷とか悲しいとか、お前に関係あんの。意味分かんねー」
意味は分からないと思う。博道が一度だって何かを、誰かの気持ちを理解しながら行動した試しは無いのだから、それが私のことでも同じだろう。博道の世界には博道しかいないし、博道の行動が誰かの小さな感情論で妨げられることもない。
「そういうのがさ……」
そういうところがさ、私には時々とても、泣きたくなるくらい、悲しいよ。
博道は私の方へまた一歩近付いた。
「あんね、だから聞いてみてんの。お前って俺のこと嫌いだよな」
「好きだよ」
だからなんだ。
私は好きな人に好意を伝えた女子とは思えないような目付きで博道を見上げた。
「は。お前って、宇宙一分かりにくい女だな」
「なにが」
「俺、お前にいま『嫌い』って言われるつもりで聞いたんだよ。『嫌い』って言われたら言おうと思ってたんだけど、でも、いま、お前……」
「うん。好きって言っちゃった」
博道はまた一歩私に近付いた。
手が届きそうな距離。
「ほんと分かりにくい」
「悪かったね」
「お前さ、なんで俺がお前を色んなとこに連れ回してるか分かってる?」
「何それ。連れ回されたことなんて無いけど」
たぶん。
「好きだからだよ」
はい?
誰が、誰を?
「最初は、お前から好きだって気持ちがくんのが嬉しかったよ。でも最近は嫌われてるって気がしてきて、さっきのでやっぱり嫌われてんなあって思ったところでさ。お前、泣くし」
私は混乱していた。
この男は、この博道という名前の人間みたいな宇宙人は、なんてことを言っているんだろう。『好き』とか言ったと思うんだけど。
ドキドキ、ドキドキ。
「……」
ダメだ。言葉が出ない。
「お前が嫌がったって、泣いたって、俺はお前と二人で居たいからそんなん関係ねーんだけど、悲しいってはっきり言われっとね、やっぱり、俺でも傷付くんだわ」
「うそ」
博道が傷付く?
そんなの、私は知らない。
博道は声を出さずに笑った。
「俺もおんなじことをお前に言いたいんだけどね。やめとくか」
「さっき『好き』って言った?」
「うん。好き」
「なんか嘘っぽい」
「ほんと酷いね、葛城は」
確かに、酷いことを言った。でも博道が優しく笑って私の近くに居るから、現実感がなくて、頭もうまくまわんないんだよ。困ったね。ほんと困った。
ドキドキ、ドキドキ。
「お前からはいつも『好きだ』って声が届いてたよ。すげー嬉しかった。最近はちょっと違ったから勘違いだったのかなーって思ったりしたけど、なんだ、やっぱ、俺のこと好きだったの」
「うん」
「なんで泣いてんの」
「分かんない」
「もう一回、好きって言ってよ」
呂律がさ、よくまわんなくなってんだけど。でも言おう。ちゃんと言おう。
私は真っ赤な顔をそうと気付かれないように俯けて言った。
「好きです。ずっと好きでした」
衝撃を感じた。
博道が私を抱き締めてるんだって分かったら、心臓が爆発しそうなくらい脈打ってた。
「ありがと。俺もだよ」
これは、あれだ。
異次元の空気。
私はいまきっと異次元世界に立ってる。
ふわふわする。くらくらする。
博道は毎日こんな空気を吸ってるのかな。だったらあんな風にバカになっても仕方ないかも。私もいま、たぶんすごくバカだ。頭がまわんなくて心臓だけに血が回ってる。
ドキドキ、ドキドキ。
あ。
届いてたんだ、私の想いが。
好きが、博道に。
これって、あれだ。あの諺のとおりだ。
曰く、“雨垂石を穿つ”。