真井さんはよく第3保健室に来るようになった。私がいる時にはだいたい現れるので、私より余程常連になっているのだと思う。
「今度どっか遊びに行こうぜ」
彼の口から出てくる言葉は馴れ馴れしくて幻滅してしまう。
「そうですね」
哲先輩ならこうは思わせない。真井さんはすごく綺麗な人だしお姉ちゃんにも釣り合うかもしれないと少しでも思った自分を酷く後悔するくらいには彼は最低な人種だった。
「先輩、」
「ん?」
「私、城内さんに会ったんです」
「はあ?」
真井さんを見ると彼は靴を履いたままその足を長椅子に上げていて、中山先生が見たら怒るだろうなあと思った。
「京平とこそこそ会わないでって言われました」
城内さんが真井さんと最も長く付き合うことができているイイ女だということは真井さんを取り巻く女の子の中ではそこそこ有名な話で、それは羨望と嫉妬が綯い交ぜになって噂されている。
真井さんは金色の髪を右手でゆっくり撫で付けた。それはもしかしたら天然の色かもしれないと思える程丁寧に染められていて、それだけで見蕩れてしまう。
「…あ、そ」
鬱陶しそうにそう呟いた。
顔は端整で肌理も細かく、長い腕や脚は優雅に振る舞い、髪の一筋から爪の先まで隙なく手入れされ、それらは尊大な真井さんを正当化する。百獣の王が、人として生まれたかのような。
そして今彼が醸す陰鬱な雰囲気に色気まで感じて私はそういう俗な自分に溜め息が出た。
こういう男が、女を駄目にする。
それもきっと無意識に。
城内さんは美人で、真井さんでなくとも他にいい人がいるに違いない。それをこの男がただ近くにいるだけで、あの人はもうただの真井さんの女になってしまった。
私は溜め息を吸い込んで飲み込むと真井さんの前まで歩いて行った。
凛として、堂々と。
「女を、あんたの奴隷にしないでよ」
「……」
「特別な人なんてそう簡単に見付からないんだから。城内さんのプライド、ズタズタにしてどうして放っておけるの。弱くて寂しい生き物をどうして優しく扱ってあげないの」
真井さんは立ち上がると入れ代わりに私を長椅子に押し付けた。
「……、へえ?」
にたりと嫌らしく笑うと煙草の臭いが下りてくる。
「城内さんは真井さんと付き合って色んな新しいことを発見して幸せを感じて、真井さんにも同じように感じて欲しかったんじゃないの?」
「奇遇だなあ。俺もあいつと付き合って幸せ感じてたところだ」
「世界は広がった?」
「ああ。毎日が新大陸発見」
「じゃあ幸せ?」
「……」
真井さんはもう笑っていなかった。
食べられる。そんな恐怖感もあったけれど戸田先輩が守ってくれる気がして不安は大きくなかった。
「だったら、城内さんに伝えればいーじゃん」
私は重畳そうに笑った。
真井さんの言葉を信じた訳ではないけれど、彼が100パーセントの嘘でごまかしたとしても私がどうにかできることでもない。深入りして逆上を誘う必要性もその義理もどこにもない。上辺だけで幸せだと言うならそうですかと返すのが一番なのだ。
それに、そろそろ中山先生が帰ってくると気付いていた。
真井さんは私の両腕を強く掴んで伸し掛かり、膝で脚を割った。
「…、……」
小さく聞こえた声を掻き消すようにキスされた。そして口を開かない私の唇を舐め上げる。
ヤバい、ヤバいヤバい。
ライオンの生まれ変わりだとしてもこの手の早さは犯罪だ。
そもそもこれは犯罪だ。
中山先生を呼ぼうとしたけれど、真井さんは左手で、掴んでいる私の右腕ごと口に押し付け、自分の腕を自分で噛んでいる為に助けを呼べない、という不憫極まる行為を強いられた。
叫べないし、酷く屈辱的で人に見られたくもないし、体格差があり過ぎるし、私はとうとう諦観してしまった。
せめて先生、早く来て。
真井さんは口で私のシャツを引き上げ、臍、脇腹から脇、鳩尾から胸などをキスなのか唇による愛撫なのか分からないくらい執拗な方法で刺激して、なんの迷いもなくブラもずらした。
気持ちいいとか悪いとか、やはり最低の人種だったかとか、そんなことよりも私はいつ開くとも知れないドアが気になっていた。真井さんはそういうこと、気にならないのだろうか。
行為に夢中になる程彼は欲情していない。私に触れるその手は冷たい。
停学じゃ、済まないよ。
真井さんは膝でパンツ越しについにそこまで刺激しだした。
慶明は私立で小学校から大学院まである比較的高偏差値の学校で、中学や高校で怠ければ容赦なく追い出されるという、保護者にしてみれば安心の教育水準を保障している。裏金5000万で大学まで持ち上げてくれるとか、社会的エリートの家の子どもは多少の校則違反なら目を瞑ってくれるとか黒い話も聞くけれど、正直生徒自身にも慶明生であるという矜持はある。
真井さんは慶明の中でも超優秀。その上見目麗しく運動もできて欠点など見当たらない。
こんなこと、馬鹿らしい。
それとも東大を目指している彼の学力なら慶明を退学になっても人生に於いて問題ないのだろうか。
そんなことを考えていると急に行為が中断し、真井さんは私を見下ろした。
右手が口から離される。
「……、止めてって、言えばいいんですか」
無抵抗なのが面白くなかったのだとしたら世の中思わぬことが功を奏するものだなあと呑気に思う。
「お前ってビッチ?」
真井さんは至極真面目な面持ちでそう言った。白い肌に赤い唇が濡れいて映える。一部の女の子にはこの距離でこの映像は失神ものだろうと思えるくらい、それは艶っぽくて卑怯だった。
「……」
無言の抗議、だ。
「答えろよ…」
「ちょっと待って!」
「ぁあ?」
無言の抗議をどう受け取ったのかは分からないが、真井さんは当然のように行為を続けようとしていた。
「犯罪だよ。これは立派な」
「未成年同士で同意の上なら、」
「強姦です」
「……また口塞ごうかな…」
真井さんが右腕を口に宛行ったところで私は涙ぐんで上目遣いに彼を見た。勿論演技だけれど人生で初めてなので上手かどうかに自信はない。
「……」
真井さんは両手を一纏めに掴んだ。そして空いた手でパンツを弄る。
一遍、死ね。
「幸せって言ってみて?」
そう言う真井さんは、けれどどこか寂しそうだった。頭を浮かせて見てみるとやはり欲情していなくて、この行為の延長にセックスはないらしいことを確信する。
私は助けを呼ぶタイミングを逸した。
「城内さんに言ってあげてください」
その言葉が真井さんの神経を逆撫でるか或は傷付けるかはするだろうと思ったけれど、最早他人事で済まされるレベルではないことにも違いなかった。
「お前さあ、俺のこと気になってんじゃねえの」
「……」
「時々、俺のことじっと見てるの分かってんだけど」
「……」
真井さんは私のお腹を撫でながら言う。
「俺のこの顔で迫られて、嫌な気分じゃねえだろ?」
それは、真実だ。
けれど間違っている。
「言いましたよね、女は奴隷じゃないんです。私が真井さんを好きになる時は、きっとちゃんと伝えます。私が抵抗しなかったのは、真井さんが怖かったからです。そんな恥ずかしい自惚れは、私の前では忘れてください」
真井さんは眉を顰めた。
「…あ、そ」
そう言うと私の下着やシャツを戻してくれた。そのまま解放されるのかと思ったら最後にまた腕を掴まれて長椅子に押し付けられる。
真井さんの表情は酷く暗くてぞっとした。
「真井さん?」
無言で顔が近付いた時、ドアが開いた。
一瞬の間を開けてから、私がそれが誰かを確認する前にその人は真井さんを私から引き離した。ブレザーの襟を掴まれて無理矢理投げ飛ばされたらしく真井さんは床に派手に転んだ。
「誰…、」
真井さんが言い切る前にその人は真井さんに跨がった。
それは戸田先輩だった。
私が間に入って止めると戸田先輩は複雑そうな顔をしたけれど、理由はどうあれ戸田先輩が人に暴力を振るう姿というのが私には衝撃的で見ていたくなかったのだから仕方ない。
「面倒だからリセットしません?」
私のその提案に、しかし2人はなかなか乗ってくれなかったのだった。