テラスから屋敷の中を眺めると、そこは私の知っている世界とは全くの別世界であることを熟と感じる。私の暮らしてきた世界はこんなところではなかったし、今だって私は“向こう側”に居るべき人間ではない。
足が竦んだ。
「京香。何をしているんだ?」
そう問い掛けられなければ、私は静かにそこから立ち去るだけだっただろう。へスターが私と窓の向こう側を繋ぐ唯一のものだ。
「ちょっと風に当たってました」
私が笑って言うと、へスターは苦笑した。そして何か考える様に俯いて金色の髪を大きな手でゆっくり撫でてから私に手を伸ばした。
「社交パーティーで一人で居るなんて、君の様に可愛らしいお嬢さんに、これ程危険なこともない」
へスターは大真面目な顔をして言ったけれど、それがジョークとしか思えなかった私は声に出して笑ってしまった。へスターが顔を顰めたので漸くいけないと思った。
「危なっかしいお嬢さんだ」
溜め息を吐く程ではないだろう。
私はそれでも反省の意を込めて申し訳ない顔をした。そういう時は大抵申し訳ないとも思っていないのだけれど、13歳の少女としてはなかなか十分だった筈だ。
「おいで」
へスターに呼ばれるまま近寄ると脇の下に手を挿し入れられた。突然の浮遊感に声を上げた時には私の目はへスターよりも高い位置にあり、華麗で洗練された美しき貴婦人たちの視線に晒されることとなった。
「私の傍を離れたら、いけないよ」
へスターは優しくそう言った。貴婦人たちと目が合っていた私には、それはとても現実的なアドバイスに思えた。
「そのお嬢様は?」
「京香と言うんです」
「京香と申します」
ホールに降りた私とへスターの元へ寄って来た人たちは早速質問を始めた。慣れた様子のへスターはにこやかに接しているけれど、私はちょっと彼らが怖いと思った。
私がいくら彼らの“レベル”を装っていてもそれは紛い物でしかない。いつ看破されてもおかしくない。
私は一歩後退した。
「なんて綺麗な…」
私の気持ちなど露知らず、婦人の一人が私をみてそう言った。“私”というより、“私の瞳”しか見ていない。
一瞬の沈黙があった。
「綺麗だろう、この瞳は」
へスターがうっとりとその女性に囁いた。彼女は目を細めて頷いた。私の瞳に反応したのかへスターの艶っぽい声に誘われたのかは分からないけれど、その人は特に感応された様だった。
「しかし、貴女もお美しいですよ。ドューリトリ嬢」
へスターに顎をなぞられると、女性は魔法が解けたみたいにはっきりとへスターを見た。
彼女の大きな瞳は薄茶色で、香りのいい紅茶を思わせる。つんと筋の通った鼻梁は勝気そうだ。桃色をした薄い唇からは完璧な発音でへスターへの慎みが述べられた。
デューリトリは妖精のように可憐な女性だった。
「実は、京香をここへ連れて来たのは、教授と会わせたかったからなんだよ」
「あの人はシークには興味を持ちませんよ」
「京香がシークだから会わせたいのではないんですよ」
「ではなぜ?」
デューリトリ嬢はやや首を傾げて尋ねた。
へスターはデューリトリの手を取って跪いた。へスターの肩に掛かるマントは中世の騎士のそれのように優美に広がった。
「卑しい私の願いを聞いてはもらえませんか。是非とも教授のお力添えを賜りたいのです」
デューリトリは暫くへスターに見惚れてからやがて頬を赤く染めて頷いた。
堪らなく可愛らしい仕草だった。
「ありがとうございます。お嬢様」
へスターは恭しくデューリトリの手に口付けた。