※夢枕版 陰陽師
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妄想設定
晴れている。月の光が真っ直ぐ伸びて、博雅は淡い光の道で月と繋がれていた。
「梅が咲いたな」
博雅はしみじみと言った。視線は外へ向けたままで、同じ部屋に座る晴明に言ったわけではない。晴明もそれをわかって特に返事を返すこともない。
「季節って本当に不思議だよな」
博雅は溜め息のようにそう呟いてから、今度は「ああ、困った」と漏らした。
「何が」
晴明は面白そうな顔で空かさずにそう言った。面白そうな顔と言っても晴明の口元には常と変わらない微笑が浮かぶくらいで傍から見れば特に変わりない。しかし博雅には確かに『面白そうな顔』と見えた。
「何がって?」
博雅は平静を装って言ったが晴明には博雅の動揺が楽しくてならない。
「お前が『困った』と言ったから、『何がだ』と尋ねただけだ」
「そう。俺そんなこと言った?」
「今日はそのことでうちへ来たんだろう」
「それは、まあ、それもあるね」
博雅は言い難そうにしている。
「お前が花やら月やら綺麗だと言う時はさ、大体、」
「待て、ちょっと」
博雅が晴明の言葉を遮って晴明を見ると、晴明が『面白そうな顔』でいるのが見えた。晴明はその顔で、しかし器用に怪訝そうに片眉を上げて博雅の言葉を待っている。
「その続きを言うなよ」
博雅は慎重に言った。
「俺がなんて言おうとしたかわかったのか?」
「わからない。しかし、言わなくて良い」
「『花やら月やら綺麗だと言う時は』、」
「言うなよ!」
博雅が声を荒くしたので、晴明は流石に口を閉じた。
「すまない。つい……」
博雅は丸で自身が誰かに怒鳴られたように項垂れた。眉尻を下げて申し訳なさそうに晴明をちらりと見上げて、「こうなるから言うなって言ったのに」と拗ねた子供のように呟いた。
「それで、つまり、話しとはなんだ」
晴明は優しげに言った。
「人が、来るんだ」
「ほう」
博雅は言い難そうに言葉を詰まらせて、「今のところ、俺には覚えのない人なんだけど」と付け加えた。
「知らない人だったからさ、俺も最初の時は名前を聞いたんだけど、何故か返事をくれない」
博雅はそんなことを話し出した。
【博雅と歌姫(前編)】
ことの始まりは1月も前のことである。誰から聞いたのか、博雅が持つプライベート用の携帯電話に送り主のわからないメールが届いた。内容は空欄だがタイトルに『昨日は、誠にありがとうございました』とだけ書かれていた。
「どなたですか」と返信をしたが、再びメールが来ることはなかった。
数日して博雅は校内でよく知らない人に挨拶されていることに気付いた。はっきり目を合わせて微笑みかけられるので自分のことを知っているだろうとは思ったが、思い返しても覚えがない。
博雅はなんとなくメールのことが頭に浮かんだ。
「俺にメールをくれた子?」
思い切って、尋ねた。
博雅は思ったら直ぐに行動に移すタイプの人間だ。この時もメールのことが頭に浮かんでそれと同時に声を掛けていた。
「大変申し訳ないことに、俺、あなたの名前をちょっと思い出せなくて。お名前をお聞きしてもいいですか」
博雅は子供の頃から物覚えは良い方で、人の名前や顔を忘れることは余りない。特に美しい女性の名前は忘れられないものだ、と博雅は目の前の女の子を遠慮がちに見ながら思った。
女は博雅の1学年上か、2学年上のように思われた。
俺は最低だ。
博雅という人間は、そう思っていることが顔にそのまま表れる男である。そんな博雅の馬鹿正直な感情表現を見た女は柔らかく笑って口を開いた。
え?
博雅は女の言葉を聞き逃したものだと思ったが、違う。女は息を吸って口を開いたが何も言わなかった。
「どうしたの。大丈夫?」
女の少し悲しげな、苦しげな表情を見て博雅は心配そうに尋ねた。
声を失った女と同じように、博雅もまた苦しげだ。
「大丈夫?」
もう一度尋ねたところで女は何処かへ消えていった。廊下の先、何処かの教室にでも入ったのかと思って覗いてみるが見当たらない。その女は博雅から探しても全く探し当てられないのだが、向こうは不意に現れては消えてしまう。
そんなことが数度あった。
害がないので放っておいて今日まで1月も続いている。
「そういうことだ」
博雅はぶっきらぼうに事の経緯を話した。
晴明はにやりと笑った。
「やはり女の話しか」
博雅は顔を少し赤くして「だから言い難くなると思って、あんな風に怒鳴ったんだ。お前が悪い」と悪態をついた。
「俺はもっと、ちょっとした出来事として話す積もりだったんだ。お前がからかうから、余計に、変な話しをしたようになった」
「ごめん、博雅」
「分かっててやってるのに、お前は酷い」
「そう言うなよ。その話し、どうにかしたいんだろう?」
博雅は眉間に皺を寄せて晴明を睨んだ。
「悪意があるとは思えないし、だからどうにかしたいって程ではなくて」
「女につれない態度を取ったんじゃないのかなあ」
「そんなことない」
「いいや。お前のことだから気付かないでやったんだろう」
博雅はいじけて口を尖らせた。
「やはりお前は酷い」
晴明は博雅の肩に手を置いて耳元で囁くように謝罪した。
「ごめん、ごめん、博雅」
「酷い」
「俺も少し考えるから、ほら、拗ねるなよ」
「もう良い。困ってない」
晴明は博雅に身体を近付けた。ほとんど顔と顔とがくっつく距離である。
「お前が困ってなくたってなあ、そんな風に困った顔をされたら、放っておけないだろう」
晴明は赤い唇に薄く笑みを浮かべている。
「お前が色んな女に片思いするから、嫉妬したんだ。ごめん、許してくれ、博雅」
博雅は顔を赤くして晴明から距離を取ろうと試みた。晴明の細い身体に手を突いて。晴明の涼しい目元を睨み付けて。
博雅の力ならばちょっと押せば簡単に晴明を突き飛ばしてしてしまえる。
「お前は、酷い」
しかしながら博雅は、そう力無く言って、脱力した。
つづき
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