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睡眠の迷信


睡に関しては
様々な迷信がありますが

科学的な裏付けも
含めて
いくつか検証したいと
思います

○食べてすぐ寝ると
牛になる

これは「ごろごろと
食っちゃ寝はいけない」と
いう意味で使われますが

これは逆に右側を下にして
寝ると消化を助けるので
体にはいいとされています


○羊を数えると眠れる

これに数を数える
単純作業を繰り返すと
無心になり
眠りやすくなるという意味ですが

あまり無限に懸命に
数えてしまうと
頭が冴えて眠れなくなります

あまり一生懸命は
やめるの方がいいみたいです


○北枕は良くない

これはお釈迦様が入滅時に
北を頭にしたことにから
はじまったこですが

厳密には北枕の方が
磁気の流れに沿い

疲れやストレスが取れ
快眠につながるとされてます


○ナポリタンの
睡眠は3時間だった

ナポリタンの睡眠のリズムや
サイクルを調べる
ことは出来ませんが

睡眠は生命維持活動には
欠かせません
特に脳波にデルタ波が出る
徐波睡眠は
必要不可欠です

眠ってすぐに
徐波睡眠に入れるならば
レム睡眠が確保出来
睡眠3時間でも大丈夫になります

よかったら参考にして下さい

from Itsuki


↑スゥィートくん
遠くにいます

アドラーの心理学:アドラー心理学の広がり


アドラーは
フロイト、ユングと並ぶ
心理学の
3大巨頭といわれますが

これまで学校などでは
フロイト、ユングが
主に語られ
アドラーは普及しませんでした

元々アドラーは
ウィーンの精神科医です

その後ナチスの台頭に伴い
活動の拠点を
アメリカ ニューヨークに
移しました


ニューヨークの医師会から
講演の依頼をされた
アドラーですが

その際医師会だけに
アドラー心理学を教えて
欲しいといわれたアドラーは

「それは出来ない
アドラー心理学は
みんなの心理学だから」と
依頼を断りました

アドラー心理学は
「個人心理学」とされますが
専門家の心理学ではなく
みんなの心理学だと
アドラーは主張したのです 


これに似た出来事は
日本でもあったみたいです

アドラー心理学が
日本に紹介された時に

専門家たちの間で
自分たちが優先的に
アドラー心理学を
学ぼうする動きがありました

ところが
日本アドラー心理学学会と
いう学会があり
その学会は
非専門家の集まりであり


そうした非専門家と
一緒にやりたくないという
医療関係者や
カウンセラーが
多くいたという状況があり

こうしたことが
アドラー心理学の普及の
つまずきに
なったと考えられてます

アドラー心理学は
20世紀的な〈自己言及の思考〉を
先取りしました

それは「見えるもの」
「見えないもの」に
規定されるのではなく
規定されるという
理解があるだけという考え方です

〜次回 アドラーの心理学に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
活動中です

杉下右京の挨拶


伊丹「芹沢やはり
足取りわからないか」

芹沢「ええ目撃情報も
監視カメラの映像も無しです」

このやり方では
足取りは掴めないみたいですね

伊丹「ええ、って
警部殿いつの間に!?」

甲斐「さっきから
ずっといましたよ」


お二人とも
会話に夢中でしたからね

芹沢「杉下警部なら
何か手があるかもですよ」

伊丹「頼るな!」
−バシッ!−

そうですねえ
目撃情報や監視カメラの
映像など姿がわからないなら
探すものを
変えたらいかがでしょう

甲斐「捜査一課の皆さんが
任意動向した容疑者の
足取り探しの対象を変えるんスね」


芹沢「何かあるんですね!」

伊丹「だから頼るな!!」
−バシッ!−

例えば指紋です
容疑者の持ち物に
缶コーヒーがありました

それと同じ缶コーヒーが
あの自動販売機にあります
ひょっとしたら
指紋が取れるかも知れないですね

芹沢「さすが杉下警部
伊丹先輩では・・・」

伊丹「うるさい!」
−バシッバシッ!−


今日も挨拶して
おしまいにしましょう

警視庁・特命係
杉下右京です

同じく
甲斐亨です

警視庁捜査一課
伊丹憲一です

芹沢・・・
「やはりお前はいい」
−バシッ!−

相棒 Season13
本日9時
皆さんとお会いしましょう


↑杉下右京ではなく
今日の一樹

from
Ukyo Sugishita
&
Itsuki

長崎の歴史:福地桜痴 1


福地桜痴は日本初の
ジャーナリストと呼ばれています

生まれは1841年
長崎の崇福寺近くの
新石灰町に生まれました

幼少から儒学者の
父の影響で漢学を学び
15歳で通詞(通訳者)
名村八右衛門の
元で蘭学を学びます

そこで桜痴は
名村がオランダ商館長が
幕府へ世界情勢を報告する
「風説書」を翻訳する際


いつも出島にいる商館長が
何故海外の情勢を
知っているのか
名村にたずねました

すると名村は
「西洋には新聞という
印刷物があり
毎日刊行されている

それは国内外の時事を
知らせるもので
商館長はそれを読み
重要な事柄を風説書に書く」と
いい古いオランダの新聞を
桜痴に手渡しました

1857年桜痴は
長崎を発ち江戸へ向かいます


江戸では長崎出身の
元オランダ通詞で
英学者の森山栄之助に師事し
イギリスの学問と英語を学びます

その後外交専門の幕府の機構
外国奉行支配の
通弁御用雇として
翻訳の仕事に従事します

1860年には後家人に
取り立てられ
家格が与えられます

翌年外国奉行に付いて
通訳としてロシアに渡ります

1865年にはヨーロッパ使節に
加わりロンドンを訪れます


そこで桜痴は
新聞社をたずねて新聞記者が
議会や政府に対して
意見を述べているのを見て

自分もいずれ新聞記者になり
時事を論じたいと
思うようになりました

これが桜痴が
ジャーナリストを目指す
きっかけになりました

またフランスで
歌劇や演劇を観て
シェイクスピアなどの
戯曲を学び始めます

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑こつぶちゃん
今日も食べています

かたりつぐこと


涙があふれて
月夜に
海がひとつ生まれた

遠くに紡いだ言葉は
語りべの物語に

昔誰かが
ここで胸の中を開いた


唄に奏でながら
携えていけるから

あなたは中の
ともしびは消さないで

いつか
連なって輝くから


愛しい笑顔に心動かして
嵐に揺らいで立ち止まる時も

全てを捧げて
あなたを守りたいから

想いは力に
姿を変えていく


語り継ぐことと
伝えていくことは

時代のうぬりで
渡ってゆく舟だから

今日の光る風を空に
受け継いで
そして明日へ渡そう


(↑しらゆきちゃん
活動中です)

〜元ち○せ
語○継ぐこと
より引用〜

from Itsuki
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