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長崎の歴史:稲佐お栄 最終回


長崎の歴史 稲佐お栄も
最終回です

稲佐とロシアとの関係ですが
もともと稲佐は
三菱長崎造船所の発展とともに
住宅地として
栄えていった町です

その稲佐エリアに
ロシア兵が上陸するように
なったのは
1853年ロシア使節が
来航してからになります

しかし幕府は交易相手を
オランダに限定したために
ロシア兵を
長崎の中心部には
迎え入れたくなかったため


長崎港を隔てた漁村だった
稲佐をロシアの
上陸地に指定しました

乗組員は稲佐で休息をとり
艦隊の物資を補給し
ロシア兵の射的場まで出来ました

これは1903年まで
続きました

稲佐にはロシア兵向けの
娯楽場が出来
この歓楽街は1925年まで
続きました


お栄はそんな時代の中
シベリア、上海へと
ロシア軍艦で渡りました

長崎へ戻ったお栄は
国際親善に尽くし
日本初の国際ホテルを作り
そして成功させました

お栄は日本に於ける
洋風ホテル経営の礎を
築いたのです

1906年お栄は
長崎で最初に働いた町
茂木に洋風2階建て
ビーチホテルを開業します


お栄は長崎駅前に
日本語と英語で書かれた
ポスターを貼り

人力車夫に毎月金一封を
配るなどして
宣伝に力をいれました

そのホテルは開業一ヶ月後で
増築するほど繁盛しました

しかしお栄さんは
1927年68歳の生涯を閉じます

場所はお栄が隠居部屋を
作っていた
平戸小屋のホテル横の住居でした

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
躍動してます
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