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回文まつり


回文まつりです

◯陶酔か?2回吸うと

◯困惑 何故鳴くワンコ?

◯バレず譲れば


◯マッスルゆえ許す妻

◯私もう問いかけ受け
解答もしたわ


◯若渡れ 枯れたわ川

◯最低な手使って内定さ


以上7つです

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
ベンチにいます

長崎史跡散策:身代わり天満宮 3


長崎の「身代わり天満宮」ですが
本来は「梅園天満宮」だった
らしいです

長崎の丸山町の氏神様として
丸山の芸子さんなどから
「今日も無事に勤めが
出来ますように」と

参拝する女性などが
多くいたようです


そんな梅園天満宮が何故
身代わり天満宮となったのでしょう

その言い伝えが説明版に
ありました

ー天満宮創建者の丸山町の乙名
安田治右衛門が
現在の丸山公園横の
丸山交番付近で
梅野五郎左衛門に襲われましたー


ー直ぐに自宅に
運びこまれましたが
不思議なことにどこにも
怪我などありません

代わりに神社の天神様が
血を流して
倒れていたそうですー

それ以来この天満宮は
「身代わり天満宮」として
親しまれるようになりました

花街の丸山などに近いことから
芝居や相撲などの
興行も行われていたそうです


(↑身代わり天満宮境内のねこ)

また戦時中には出征を
命じられた者は
この天満宮にお参りにきたそうです

この神社の境内には狛犬の
いわれなど
まだまだ史跡がありそうです

またじっくり散策
したいものです

from Itsuki

長崎史跡散策:身代わり天満宮 2


梅園身代わり天満宮です

創建は1700年

祀られているのは
何と菅原道真公です

小さめの鳥居をくぐります


こじんまりとした
拝殿です

説明版によると
この拝殿は1898年に
建て替えられており


その際に墨絵師により
天井絵が奉納されたらしいです

しかしさすがに撮影は
これが精一杯でした


身代わり天満宮の
説明版です


何故身代わり天満宮なのかは
また次回です

from Itsuki

唐人屋敷跡への道で


唐人屋敷跡の館内町への
通り道にあります


長崎の「つりがね堂薬局」です

つりがねとプロペラが
ある建物の薬局です

築年などは不明らしいですが
古写真によると
かつてはつりがねは
別に置かれていたみたいでした


近くで撮影しました



これも長崎の歴史の一部の
確かな建物です

from Itsuki

長崎史跡散策:身代わり天満宮


前回の唐人屋敷跡と十人町から
山越えする感覚で細い
階段を下ります

すると丸山町に戻ります

この近くに以前から
行きたかった史跡があります

まずは「梅園身代わり天満宮」です


細い坂を上ると
標識があり
鳥居を目印にして進みます


境内に入ると小さな太鼓橋です

さて「身代わり天満宮」の
いわれが書いてある説明版です


と、今回はここまでです
身代わり天満宮のいわれは
次回に持ち越します

from Itsuki
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