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長崎の歴史:長崎くんち


長崎の町は
今日から秋の大祭
「長崎くんち」が行われます

長崎くんちのはじまりには
長崎の町がポルトガルの
寄進地だったことが
少なからず影響しています

寄進地時代長崎の人たちは
キリスト教に
強制的に改宗させられました

そのために長崎の
神社仏閣は
破壊の対象になりました


長崎くんちが行われる
長崎諏訪神社は
長崎開港の父 長崎甚左衛門の弟
長崎織部亮為英が
京都から分霊勧請されたと
いわれています

その諏訪神社も破壊の対象になり
荒れ放題になってました

そんな諏訪神社の再興に
佐賀の修験者だった青木賢清が

長崎奉行と代官の援助を受けて
1623年に諏訪神社の
再興に立ち上がります


神殿の建築にはキリスト教徒の
妨害に合い

神殿建築には3年の月日を費やし
1625年ようやく
諏訪神社神殿が完成します

青木賢清は初代諏訪神社宮司になり
旧暦の9月7、8、9日を
諏訪の神輿渡御(巡幸)の祭日にする
提案を長崎奉行に行います

これが長崎くんちの
はじまりになりました


長崎くんちには
長崎奉行は諏訪神社の祭礼を
派手にすることにより

キリスト教徒への
改宗政策の一つと考えました

また盛大に行われる
長崎くんちには
当時海外への
唯一の窓口だった長崎から

海外へ長崎強いては
日本の繁栄を
伝える手段とされました

長崎奉行は長崎くんちを
保護奨励したため
長崎くんちは現在も
秋の大祭として伝えられてます

今年も長崎くんち
楽しみたいと思います

from Itsuki


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