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長崎の歴史:長崎の始まり


長崎の始まりですが
長崎の歴史は
旧石器時代まで遡れるようです

かつては長崎の壱岐や対馬は
大陸との交流もあり

対馬には大陸からの
攻撃を防ぐために防人が
築かれた経緯もあるようです

鎌倉時代になると
現在の松浦市に海の豪族
松浦党が起こり
壱岐や対馬との元寇が起こります


室町時代になりキリスト教の
布教がザビエルにより
始まります

ここから戦国時代までは
長崎の支配者は
事実上長崎島原半島の
有馬家でした

有馬晴信は島原半島との
交通の要所として
長崎の大村と諫早の管理を
重要視します

諫早の領主は有馬晴信の
信頼を受けましたが
当時の大村の領主は病気がちでした


そこで有馬晴信は甥の
純忠を大村家へ養子に出します

こうして初代キリシタン大名の
大村純忠が誕生します

時代は戦国時代です
大村純忠は佐賀の龍造寺軍や
松浦党と
激しい戦いを繰り広げてました

その打開策がキリスト教でした
キリスト教の洗礼を受けて
当時交易があった
ポルトガルとの貿易を優位に
進めていきました

しかし龍造寺軍と松浦党は
大村純忠の面子を
潰すにはポルトガル船を沈めるのが
最も効果的だとして
ポルトガル船を次々沈めていきます


ポルトガルとの貿易は続けたい
しかし龍造寺軍や
松浦党からの攻撃は避けたい

ポルトガル船は当時は
現在の西海市の
長崎 横瀬浦を港にしてましたが

大村純忠とポルトガル側は
船の安全と警備に
最も向いている港として
長崎港を指名します

鶴の港と形容される
入り組んだ入江に
遠浅の海は大きなポルトガル船も
入港することが出来ます

こうしてポルトガル船が
長崎に入り
長崎港開港になります

長崎が歴史の表舞台に出てきました

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
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