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長崎の歴史:隠れキリシタン 6


豊臣秀吉による
「二十六聖人殉教」の悲劇から
時代は徳川幕府に移ります

1614年に徳川家康は
禁教令を更に厳しく敷きます

しかし表立った
弾圧はまだありませんでした

そして勃発したのが
「島原の乱」です


この島原の乱は
幕末以前では最後の本格的な
内戦といわれています

勃発したのは
1637年12月11日です

当時徳川幕府は各藩が
幕府への反乱を避けるために
過重な年貢高をかけていました

そのため各藩の農民などは
過酷な年貢を納めるため
酷使されていました


過酷な年貢のための
農民たちの酷使と
島原のキリシタンへの弾圧

さらに島原藩と天草 唐津藩には
飢饉が襲い
この両藩の農民たちが
反乱を起こします

両藩の農民たちは
巧みに組織と計画を立てて
美少年で人気が高い
キリシタンの16歳の少年


天草四郎(益田四郎)を
総大将に決起します

島原藩は直ちに征討軍を
出しますが
兵は直ぐに疲弊して戻ります

一揆軍は勢いを増し
肥後 天草の一揆軍と合流し

島原の旧有馬家の居城跡
原城に籠城します

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


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