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長崎の歴史:軍艦島 2


端島の基本的な居住環境の
整備にともない
1897年から島の周囲が
段階的に
埋め立てられてきました

1916年には日本初の
鉄筋コンクリート造の
集合住宅が建設されました

この年にとある新聞が
端島を
「軍艦見間違うみたい」と書き

5年後の1921年には
長崎の新聞でも
端島が戦艦 「土佐」に
似ていることから

端島を軍艦島と呼ぶようになり
「軍艦島」の通称は
この頃から
使われるようになりました


大正時代からは労働者数も増え
端島炭鉱は
良質な石炭が多く採れて
日本の近代化を支えた
炭鉱のひとつです

石炭採炭量の最盛期の
1941年には
年間41万トンを出炭し

人口の最盛期は1960年で
5267人が住み
その人口密度は世界一になり
東京の特別区の9倍でした


島には炭鉱設備の他
住宅に小中学校に常設の店舗
病院に寺院に
映画館、理容室に美容室があり

軍艦島だけでほぼ完結した
都市機能がありました

1960年以降エネルギーが
石炭から石油へと以降する中
軍艦島も衰退していきます

1965年に新しい堅坑を
開発して
一時期持ち直しますが


1970年代の
エネルギー政策の影響を受けて
1974年1月15日
ついに閉山します

閉山時 2000人まで
減っていた島の人たちは
同年の4月20日までに
島を離れて
軍艦島は無人島になります

軍艦島は2001年まで
三菱マテリアルの所有でしたが
当時の高島町に
無償譲渡され
2005年に高島町が長崎市に
編入されたことから
所有権は長崎市に移りました

現在 軍艦島は
近代の集合住宅などの
遺構として
注目されています

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
丸まってます
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