スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

長崎の歴史を考える


長崎開祖の父は
長崎甚左衛門純忠と
されています

キリシタン大名でもあり
長崎開港の際に
長崎の地を治めていました

長崎甚左衛門純忠の家系は
鎌倉時代まで
遡ることが出来ます


では鎌倉時代から
更に長崎の歴史を遡って
考えてみます

古代のエピソードが
一つありました

大和の地を治めるために
今の福岡まで
やってきた皇后が
山の上から九州を眺めました


すると2つの大きな光を
目にしました

それが今の熊本の阿蘇山と
長崎の雲仙岳でした

光を目にした皇后は
「この2つの地は
神が管理としているから
手を出してはならない」といい
引き上げました


ここで考えてみます
ひとつの仮説があります

雲仙岳は普賢岳に
妙見岳と宗教に関する
名前の山から成り立ってます
つまり雲仙岳は信仰の対象でした

雲仙岳は山なので男です
そして仕えるのは女性になります
男性に仕えるので「巫女」

"火"の山に仕える"巫""女"で
「火巫女」=「卑弥呼」
邪馬台国は長崎にあったため

大和朝廷も長崎、佐賀
熊本などには
勢力が及びませんでした

これは
あくまでも仮説です

from Itsuki
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2014年05月 >>
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
カテゴリー