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長崎の歴史:喧嘩坂騒動 2


長崎喧嘩坂騒動の続きです

泥を跳ねられた怒りが
収まらない
高木屋の番頭たち約20名は

長崎市五島町の
深堀町藩蔵屋敷に乱入します

そこで屋敷にいた
藩士たちに乱暴を働き
さらに武士の魂ともいうべき
大小の刀を奪い去ります


ここに至っては深堀藩も
黙っているわけいかず

長崎 深堀領の屋敷から
深堀三右衛門の息子
深堀嘉右衛門ら10名が
長崎深堀藩蔵屋敷に集まりました

総勢19名になった
深堀藩士たちは高木屋屋敷に
向かいました

当初屋敷で話し合いでの解決を
呼びかけましたが
話しがつかないとみると

屋敷の門を内側から閉め
裏門も固めます


そこで高木屋主人の
高木彦右衛門と番頭たち
9名を討ち取ります

しかし女性と子どもには
一切手出ししませんでした

本懐を遂げた深堀藩士たちは
深堀藩蔵屋敷へ戻りますが
途中柴原武右衛門は
長崎くろがね橋で自ら切腹します

ことの次第は
すぐに江戸幕府に報告されます


幕府の裁定は討ち入った
10名は切腹
深堀領から加わった10名は
島流しになり

高木屋は取り潰しになり
深堀藩蔵屋敷に
押し入った約20名の番頭たちは
×刑されました

喧嘩両成敗の結果に
なりましたが
この騒動には謎があります


(↑しらゆきちゃん
眺めています)

from Itsuki
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