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長崎の歴史:喧嘩坂騒動


長崎 喧嘩坂騒動は
別名「深堀事件」ともいい

あの「忠臣蔵」の手本に
なった出来事です

この事件が拝見には
当時の長崎の独特の事情が
あります


当時の長崎は出嶋などの
対外貿易により
かなり潤っており唯一年貢などの
徴収がされない町でした

そのために長崎は
武士より町人が力があり
商人が大手をふって歩く光景さえ
ありました

そんな中の
1701年の1月16日の夕方
深堀領の藩士2名が諏訪神社での
用事を終えて
長崎五島町の深堀藩蔵屋敷への
帰り道を急いでました

この日は朝からの雪が溶け
道にはぬかるみがありました


道を急ぐ藩士が石段を
下ってくると
下からは長崎貿易機関の
長崎会所役人の高木家の番頭たちが
上がってきました

そしてすれ違う時です

当時の69歳の深堀藩士
深堀三右衛門が雪で足場の悪い
足元についてた杖が
高木家の番頭の服に泥をはねました


深堀三右衛門と同じく
深堀藩士の柴原武右衛門の2名は
すぐに非礼を詫びましたが

高木家の番頭たちは
それを許さず坂の途中で口論に
なりました

その場は近くの神社の宮司が
仲裁に入り収まりますが

町の有力商人の家である
高木家の番頭たちは
腹の虫が収まらず

その日の夜に
五島町の深堀藩蔵屋敷に
押しかけます

〜次回 長崎の歴史へ続く〜


(↑こつぶちゃん
やはり食べてます)

from Itsuki
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