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長崎の歴史:中島川石橋群 8


前回の続きです

次は万橋(よろずばし)です

この橋は京都の金谷嘉右衛門が
長崎で起こした
不祥事の贖罪として
1678年に架橋しました

当初は石造りアーチ橋で
築町から萬屋町を結ぶ橋で
萬屋橋と呼ばれてました

明治になり教育者の
西道仙が
萬橋と名付けました


1801年の洪水で崩落して
同年に再架橋されましたが

1915年にコンクリート橋に
架け替えられて
その後何度か架け替えられてます

続いては玉帯橋です

この橋は1651年に
大手橋と同時期に中島川支流の
銅座川に架橋された
石造りアーチ橋になります

命名は西道仙です

現在の暗渠化されて
現存の確認はされてません


続いては鉄橋(くろがねばし)です

鉄橋は中島川石橋群の
第15橋になります

1632年に当時の長崎奉行が
屋根付きの木造橋を
架けたのが起源になります

その後洪水による崩落が続き
明治期に長崎製鉄所にいた
本木昌造により

鉄筋コンクリート橋に
架け替えられました


鉄橋は現在
長崎中心アーケード街に
繋がる橋として
歩行者専用の橋になっています

次は中央橋です

架橋は1952年で
2006年と2009年に
架け替えられた橋です

この橋は長崎県庁と長崎浜の町と
思案橋方面を
一直線に車で結ぶ橋として

長崎の幹線道路のひとつを
担っています

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
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