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長崎の歴史:中島川石橋群 4


前回の続きです

網笠橋も1982年の
長崎大水害で流出しました

現在の橋は
長崎 小長井町の
安山岩で再架設されました

次は古町橋です

1697年に長崎の貿易商
河村嘉兵衛とその母により
私費で架けられました


長崎の有形文化財に指定
されていましたが

こちらも長崎大水害で
流されてしまいます

現在の橋は佐賀の唐津市の
安山岩を使用し
再架設されました

続いて目に入るのは
一覧橋です


1657年に中国の通訳詞
唐通詞たちの寄付により
架橋されました

橋の名前は明治になり
教育者の西道仙によって
付けられました

洪水などで何度かの
流出の記録がありましたが
長崎の有形文化財に
指定されてました

この橋も長崎大水害で
流出しました


現在の石造アーチ橋は
中国風を徹底し

石材は中国 福州市の
花崗岩を使用して

橋銘石の文字は
福州市美術家協会の書家が
書きました

続いて目に入るのは
竿原橋です

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
日陰に入っています

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