スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

長崎の歴史:シーボルト物語 3


シーボルトは日本 長崎の
内情探索について
オランダ国王からの親書を
携えてました

それには
「この者は
我が国で最も優れた医学者であり
特別の計らいを持ち
日本の蘭学研究者への
蘭学の伝授の機会と
長崎の人々への診察の機会を認めて頂きたい」

と書かれてました


これによりシーボルトは
出島内での蘭学(西洋医学)の
教育を行います

また長崎の町でも
診察を始めるようになります

シーボルトは町での診察傍ら
散歩と称して
草花の採取を行います

シーボルトの長崎の内情探索が
徐々に始まります

 

さらにシーボルトは
集まってきた日本の蘭学研究者に
レポート提出として

「長崎の食事の献立」や
「長崎で獲れる魚」
さらに「長崎の植物」などの
内容のレポートを提出させ

長崎の内情探索を
進めていきます

ついにシーボルトは
「出島内での講義では出島への
出入りの手続きなど
繁雑なものがあるので

長崎の町に私塾を儲けさせて
欲しい」と訴えます


長崎奉行所内では
反対意見もありましたが

すでにシーボルトは
優れた医学を伝授してくれる
素晴らしい人物として
尊敬を獲得しており

門弟たちからも
懇願されたことなどから

1824年
来日した翌年には
長崎の鳴滝にシーボルトの私塾
「鳴滝塾」を設立します

土地の名義は
シーボルトの門弟二宮敬作で
土地購入や建築費用は
シーボルトが持ちました

〜次回  長崎の歴史に続く〜


↑通りすがりのねこですから

from Itsuki
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2014年07月 >>
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カテゴリー