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「皓台寺誌」より 3


キリシタンが増えていった
長崎は「キリシタンの町」と
呼ばれるようになり

江戸幕府が成立した後の
1605年に
キリスト教勢は最極盛期を迎えます

キリシタンの町となった
長崎は
代官から町年寄に
今でいう市長や町長なども
ほとんどキリシタンになりました


またキリスト教が江戸で
広がりだしたのを知り
幕府は1612年
「禁教令」教化に乗り出します

では何故キリスト教は
ここまで
大衆に歓迎されたのでしょう

それはお寺の住職と檀家が
離れた存在になったのが
一因だと考えたみたいです


江戸時代に幕府は格式のある
僧侶に対して
将軍からとして「長柄輿」を
賜ってました

長柄輿とは将軍家から
賜った御輿です
僧侶は当然移動は
長柄輿を利用します


僧侶がこうして偉い存在になると
一般の大衆は
住職さんは顔も拝めぬ
存在になり一般から距離が出来ます

また説教は言葉が難しく
何を話しているのか
わからない
もっとやさしく話して欲しい

つまり僧侶は難しいことを
話して
言葉や文字だけで
自分は偉いとふんぞり返っている
やがて檀家は僧侶を
敬遠してしまいました

〜次回 皓台寺誌よりに続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃんと
ラズリーちゃん
親しみやすい町ねこです
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