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長崎の歴史:稲佐お栄 1


幕末から明治にかけては
女性が活躍した
時代でもあります

次の物語は「稲佐 お栄」です
稲佐お栄は通称で
本名は「道永エイ」です

稲佐お栄の「稲佐」とは
「大浦お慶」が活躍した
外国人居留地があった大浦地区とは


長崎港の入江を挟んだ
対岸の地区になり
この時代は旧ロシア人の
居留地でもあります

お栄は熊本県天草郡大矢野島に
1860年2月18日に
誕生しました

大矢野島はあの天草四郎の
出身地としても
有名です

1872年お栄は両親を
相次いで亡くします


お栄は遠縁を頼り長崎の茂木町で
旅館の女中として
働き始めます

1879年にお栄は
長崎稲佐の
料亭・ボルガの女将
諸岡マツを紹介されて稲佐へと
やって来ることになります

当時からロシア人居留地だった
稲佐のロシア人集会所で
お栄は家政婦として
働くことになりました

稲佐はロシア人居留地
または
ロシア人水兵たちの
休憩所として開かれてました


ロシア人休憩所にはホテル
レストラン、両替所が
建てられ
ロシア人で連日連夜
賑わっていました

お栄はここでロシア語を
自力で習得します

お栄のロシア語はかなり
流暢だったらしく
1881年ロシア艦隊戦艦
バルト号の船長に気に入られて
船長付きの給士として
ウラジオストクに渡ります

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
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