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長崎の歴史:隠れキリシタン 3


1580年にポルトガルに
寄進された
長崎の町ですが

そこには2つの姿が
あったといわれています

ひとつは長崎港付近で
肩で風を切り
長崎の人たちを迫害する姿と

もうひとつは浦上付近で
ポルトガルの文化を伝えて
浦上の人たちと
仲良く共存する姿です


1587年に豊臣秀吉が
九州を平定し
翌1588年に秀吉が九州 福岡に
平定の様子を見に来た際に

長崎でポルトガル人から
迫害を受けていた
長崎の人たちが秀吉に
直接長崎の町の様子を訴えます

驚いた秀吉はポルトガルから
長崎の町を取り上げて
直轄地にして

ポルトガル人が
建てた教会などを破壊します

この時に長崎に代官所が
設けられました


長崎の町の人たちは強制的に
キリスト教に
改宗されていました

これでキリスト教を棄教
出来ましたが

長崎の人たちにしたら
政治的理由で
強制的に改宗されて

再び政治的理由で棄教されるのに
納得いかなかったこと


更に長崎の人たちは
キリスト教により
今までになかった宗教感を
得たことから

キリスト教棄教に
否定的になりました

これが後の隠れキリシタンに
繋がっていきます

この頃には宣教師は
京都 大阪まで
広がっていました

キリシタン弾圧が
ここから始まっていきます

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
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