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長崎の歴史:隠れキリシタン 2


長崎港が開港されて
長崎ならず
日本にキリスト教徒が
広がっていくなか

日本の対外貿易の対応ですが
織田信長に
豊臣秀吉の対応は

国内にキリスト教が
広がるのは
好ましくないが

対外貿易で得る
利益も無視出来ないでした


豊臣秀吉は
1587年にバテレン追放令という
いわゆる
「禁教令」を出していますが

これはバテレン=宣教師の
追放を意味するものでしたが

実質的に表向きだけで
強制的な追放や
改宗などは
行われませんでした

こうした腰が座らない
対応が
後のキリシタンの悲劇に
繋がっていきます


そんな中長崎を治めていた
長崎甚左衛門が
戦費の工面に行き詰まり
ポルトガルから借金をします

もちろん甚左衛門には
返すあてはなく
一向に返済がない
ポルトガル側が甚左衛の
上役の大村純忠に
直接返済を迫ります

大村純忠は返済の代わりに
1580年 ポルトガルに
長崎の町を
寄進してしまいます


長崎開港の父とされた
長崎甚左衛門は
自分の領地はほとんど
ポルトガルに取られてしまいます

更に長崎の町には
ポルトガルが
教会や学校 病院など
11の建物が
町の至るところに
建てられました

長崎の人たちは
ポルトガルにより
強制的に
キリスト教に
改宗させられます

長崎の物語が大きく
動いていきます

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
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