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長崎の歴史:岩崎弥太郎 2


九死に一生を得た形になった
弥太郎ですが
土佐に帰国すると

藩の費用を長崎などで
浪費した責任などを問われて
役職を辞します

1867年に後藤象二郎から
土佐藩の商務組織
「土佐商会」の長崎居留守役
(長崎での責任者)に
抜擢されます

当時の長崎は
各藩からの出張所が並び
外国貿易の都と化してました


同時期 坂本龍馬が
脱藩の罪が解かれると

龍馬の組織「亀山社中」は
土佐藩の外郭機関
「海援隊」に変わりました

そこで弥太郎は
海援隊の経理を担当します

記録上で弥太郎が
坂本龍馬との
最初の接点はここが
最初です


岩崎弥太郎の日記によると
龍馬と弥太郎は
頻繁にお酒を飲むなど
交流があり

龍馬が長崎を離れる時には
多額の餞別を渡すなど
親密な関係にあったと推察されます

1868年 明治元年になり
海援隊も解散して
長崎 土佐商会が閉鎖になると

弥太郎は開成館大阪出張所
(大阪商会)に移ります


ここで弥太郎は
長崎 土佐商会の経験を活かして

商船隊を率いて
外国商船との取引や
大阪商人と売買に力を発揮し
藩の財政に貢献しました

弥太郎は海運業に専念するため
大阪商会を
九十九商会に改称します

更に後藤象二郎の肝煎りで
藩の負債を肩代わりする条件で
2隻の船を手に入れて

九十九商会を更に改称して
「三菱商会」
(後の郵便汽船三菱会社)を
設立します

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
捜し物中です
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