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長崎の歴史:岩崎弥太郎


岩崎弥太郎は
三菱の創始者であり
明治の動乱期に政商として
成功を収めた人物です

弥太郎は1835年に
土佐国(現在の高知県安芸市)に
生まれました

21歳の時に
学問で身を立てるべく
江戸へ向かい
朱子学の塾に入塾しますが

1855年に父親が
酒の席で喧嘩して投獄されたと
知ると帰国して
父を冤罪を訴えたために
弥太郎も投獄されます


しかし獄中で商人と同房になり
算術や商法を学びます

この事が後に商業の道に
進むきっかけとされています

出獄後は
土佐国を追い出されますが
当時謹慎中だった
土佐藩士 吉田東洋から
聞いていた
少林塾に塾に入塾します

ここで後の政治家であり
実業家の
後藤象二郎と知り合い
厚く待遇されます


更にに吉田東洋が
参政すると
東洋に仕えて藩使の一員として
長崎に派遣されますが
藩の費用での遊蕩が知れて

半年で帰国を命じられます
この時27歳の弥太郎は
郷士 高柴重春の次女と結婚します

岩崎弥太郎の役職は
尊皇攘夷を旗印に組織された
「土佐勤王党」や脱藩した
藩士たちの環視でしたが


吉田東洋が暗殺されると
犯人の探索を命じられ

同僚の井上佐太郎と共に
大阪に赴きます

しかし尊皇攘夷派が
勢いを増す京都 大阪での
探索行為は困難であり

弥太郎は必要な届け出に
不備があったことを言い訳に
無断帰国します

その後同僚の井上佐太郎は
岡田以蔵から暗殺されており
弥太郎は九死に一生を
得た形になりました

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
毅然としています
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