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長崎の歴史:大浦お慶 最終回


お慶が熊本藩士
遠山一也から騙された
ことにより
お慶は3000両を負債を抱え
大浦家は没落します

ここでお慶の生涯を
振り返りたいと思います

お慶は油商に生まれますが
町の大火と
油商も経営難だったことから
油商に見切りをつけます


お慶が目をつけたのは
日本茶の貿易でした

お慶はオランダ通詞(通訳)の
協力を得て
出島のオランダ商人に
日本茶の見本を託し

イギリス、アメリカ
アラビアに送ってもらいます

このサンプルを送る手法は
当時としては斬新な発想でした


1856年見本を見た
イギリスの商人
ウィリアム・オルトが
長崎にやって来て

お慶に日本茶6トンの
注文をします

これがきっかけになり
お慶は年間240万トンを輸出する
日本茶の
貿易商として成功します


またお慶は当時としては
かなりの国際感覚を
持ち合わせた人物とされ
また幕末の志士たちと
交流があったと考えられてます

晩年お慶が危篤だと知った
長崎県令(知事)が
当時の中央官庁の農商務省に

「お慶さんが生きてるうちに
賞をあげて欲しい」と要請し

1884年お慶さんは
日本茶貿易の先駆者として
茶業振興功労褒賞が贈られます

お慶さんはその一週間後の
4月13日57歳の
生涯を閉じました

またお慶の負債は
完済されていました

from Itsuki


↑こつぶちゃん
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