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長崎の歴史:大浦お慶 1


大浦お慶は幕末から
明治にかけての商人です

シーボルトの娘のお稲と
稲佐お栄とならぶ
長崎3大ヒロインの一人です

お慶は1828年
長崎の油屋町の油問屋
「大浦屋」に生まれました

幼少のお慶は
かなり裕福に暮らしましたが


幕末になると
油は海外からの輸入品に押され
財政は傾きかけてました

さらに1843年
お慶に16歳の時に
出来鍛冶屋町から出火した火が

今籠町、今鍛冶屋町
油屋町、今石灰町など
526戸を
焼失する大火に見舞われます

お慶の家も大損害に
見舞われました


お慶はそこで
大浦屋再興に立ち上がります

翌1844年
お慶は蘭学を学びに
来ていた
天草の庄屋は息子を婿養子に
迎えますが

何が気に入らなかったのか
祝言の
翌日に追い出します

お慶は油商に
見切りをつけました


お慶が目をつけたのは
日本茶の輸出です

当時日本茶の栽培は
現在の佐賀嬉野などを中心に
盛んに行われており

長崎 出島から
輸出されていました

1853年お慶は
オランダ通詞(通訳)の品川藤十郎の
協力を得て

オランダ商人に
嬉野茶の見本を託して
イギリス、アメリカ、アラビアの
3か国に送ってもらいます

お慶の日本茶貿易の始まりです

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑通りすがりのねこです
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