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長崎の歴史:シーボルト物語 9


シーボルトの帰国は
1828年10月に予定されてました

シーボルトの最後の荷物を
積み込んだ
オランダ船は長崎港外の
黒島に停泊してました

ところが9月18日未明に
長崎を猛烈な台風が襲います
(別:シーボルト台風)

オランダ船は甚大な被害を
受けてしまいます


そのためシーボルトの帰国は
同年12月に延期されます

オランダ船の荷物は
船から降ろされ
再検査されました

そこでシーボルトの荷物から
禁制品の品々が
次々と発見されました

また江の高橋景保の
調べなどから
シーボルトは厳しい尋問を
受けることになりました

シーボルトの荷物は
長崎奉行所に没収されます


シーボルトは
長崎奉行の尋問に対して

「禁制品とは知らなかった
収集は純粋な科学者としての
研究目的であり
そのためだけに情報収集した」と
一貫して主張します

またシーボルトと同時に
調べを受けることになった
自身の門弟たちについて

「彼らは何も知らずに
私の研究を手伝っただけで
彼らに罪はない」といい


さらにシーボルトは
「私の残りの人生を日本に
留まることで日本の民となり
人質になってもいい」と
申し出ます

シーボルトは江戸参府の旅で
情報交換などの目的で
接触した多くの日本人の名前を
挙げることを拒絶しました

この姿勢は本来罪が
及ぶはずだった
多くの人々を救ったと
いわれています

シーボルトに下された処分は
「国外追放、再渡航禁止」でした

 ついにシーボルトが
日本を離れます

〜次回 長崎の歴史に続く〜


↑しらゆきちゃん
前進中です

〜ご心配おかけしました
体調戻りました
またよろしくお願いします〜

from Itsuki
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