スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

長崎の歴史:シーボルト物語 7


幕府天文方・書物奉行
高橋景保から
日本地図を受け取ることに
なったシーボルトは

江戸城内の書庫に
見張り番が入れ替わる
隙を狙って

高橋景保が
シーボルトたちを
書庫に招き入れます

シーボルトたちが
目にした日本地図は
伊納忠敬が1821年に完成させた


「大日本沿海輿地全図」です

高橋景保はその地図の
縮図を見せます

シーボルトたちは
その地図を
時間が許す限り写し撮り

残りは高橋景保が模写し
長崎へ送ることになりました

後にシーボルトは
「地図を入手することが
日本の法に
触れるとは知らなかった」と


語りましたが
シーボルトは日本地図は
禁制品だと
わかっていてリスクを
犯したとされてます

やがてシーボルトたちは
1826年5月18日
江戸を出発します

長崎 出島に戻ったのは
6月2日です

 シーボルトはすぐに
地図収集に協力してくれた


高橋景保と
探検家の間宮林蔵に
お礼の手紙を送りますが

間宮林蔵には
林蔵が北海道で収集した
押し花標本を送って貰うように
手紙と布を送ります

間宮林蔵は外国人との
私的な贈答は国禁にあたると
考えて
上司に手紙と布を提出します

これがシーボルト事件の
発端になります


↑こつぶちゃんと
スゥィートくん
仲良くお食事中です

from Itsuki
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2014年08月 >>
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリー