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杉下右京の足跡捜査


伊丹「おい、これじゃ
足跡追うの無理じゃないか」

芹沢「現場、踏み荒らされて
ますからね」

米沢「もともと降っていた雨に
もとの足跡をごまかすためか
意図的に踏み荒らしたようですな」

しかしあきらめるのは
早いと思いますよ


伊丹「あっ特命係は
お呼びしてませんが」

失礼、通りすがったもので

米沢「あきめるのは早いとは
杉下警部一体何ゆえに」

犯人が足跡をごまかすために
踏み荒らしたのなら
足跡をごまかした痕跡が
どこかに残っているはずです

芹沢「そんな痕跡どうやって
探すんですか」


甲斐「杉下さん
やはりありました」

カイト君見つかりましたか

甲斐「この先の公園の
水道が横に足跡がバッチリです」

これだけ踏み荒らしたなら
どこかで泥を落としたはずです

どうやら手がかりに
なりそうですね

芹沢「さすが杉下警部
伊丹先輩とは・・・」

伊丹「だまれ!」
ーバシッ!ー


まぁよろしいでは
ありませんか

今日も挨拶して
おしまいにしましょう

警視庁・特命係
杉下右京です

同じく
甲斐亨です

警視庁 捜査一課
伊丹憲一です

芹沢・・・
伊丹「やはりお前はいい」
ーバシッ!ー

警視庁 鑑識課
米沢守です

相棒 エムブロ編
またお会いしましょう


杉下右京ではなく
今日の一樹

from
Ukyo Sugishita
&
Itsuki

長崎の歴史:長崎出島


長崎の出島は
当初貿易の相手国だった
ポルトガルからの
キリスト教布教を防ぐことを
目的として

1634年から2年がかりで
江戸幕府の鎖国政策の
一貫として
長崎港に築造された人工島です

築造の費用は
25人の長崎の町商人が
出資しました


初めは出島にはポルトガル人が
住んでましたが
1639年に幕府がポルトガル人を
国外追放にしたため
出島は無人化となりました

そのため出島築造に出資した
町商人たちの訴えにより
長崎平戸にあった
オランダ商館が
1641年に出島に移されます

ここから約200年間
長崎出島は
オランダ貿易の舞台になります

出島の面接は
約3969坪あります


扇を広げたような
島の形の理由は

扇の岸壁は波の影響を
うけにくい
または当時の将軍徳川家光が
扇を広げて
「これを見本にするように」などの
諸説があります

出島内には
オランダ商館長である
カピタン部屋

貿易事務の管理をした
乙名部屋


オランダ船船長や
商館員の居宅として利用された
一番船船頭部屋

さらに輸入品が収められた蔵が
一番蔵から三番蔵までありました

これらは現在復元されてます

またオランダ側は
日本に出島のに土地使用料を
支払ってました
金額はおよそ年間1億円です

出島跡は現在
「出島輪蘭商館跡」として
国の指定史跡に指定されています


(↑しらゆきちゃん
かくれんぼ中です)

from Itsuki
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