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長崎の歴史:じゃがたら文を考える


鎖国政策の中で
ジャカルタに追放された
お春はどのように
日本へ手紙を送ったのでしょうか

ここで一つ仮説を考えてみます

お春か一時期近くのお寺に
匿われていました
お春はここで"読み書き"を
習ったと考えられます

ジャカルタに流されたお春は
幸せな生涯を
送ったと記録がありますが


送られたばかりの頃は
お春は言葉も習慣も違う地で
日本への望郷の念は
強かったに違いありません

そこでお春は故郷への想いを
日本語で手紙を書き
ポルトガル商社の人物に渡します

ポルトガル商社の人物は
日本語通訳士に手紙が渡し
手紙をポルトガル語に翻訳します

そしてその手紙を日本行きの
貿易船に乗せます

手紙は出島のオランダ商人たちの
手紙などに紛れさせて
出島に運ばれます

さらにお春の手紙は
オランダ商人から
オランダ語通訳士の
日本人オランダ通詞に渡されます

日本人オランダ通詞は
オランダ語に翻訳された
手紙を日本語に再翻訳します

この過程でお春の手紙は
文体などが流麗になり
文字も大人が書いた達筆になります

翻訳された手紙は
通詞から
お春の肉親に渡されます


お春の肉親はお春の手紙を
家の壁の裏側に隠したようです

実際にお春の文は
その家の壁を
剥いだ際に見つかりました

一連の仮説は証拠も
ありませんが

歴史のロマンを
少しイメージしてみました

from Itsuki
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