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長崎の歴史:高島秋帆 4


投獄中に幕府の鎖国政策と
海防政策の誤りに
気がついた高島秋帆は

開国派に転じて交易説を
支持するようになりました


そして幕府には通商の
必要性を訴える
「嘉永上書」を提出し

幕府に対して開国と通商の
必要性を説きました

しかし既に当時は
攘夷派の意見を持つ幕臣は
少なくなく
秋帆の意見は伏せられました


その後秋帆は幕府の
富士見宝蔵兼講武所支配の
師範の役になります

そして幕府の砲術訓練の
指導に尽力します


更に砲術に関する教書を
監修し編纂しました

秋帆は砲術に於いて
様々な号令を設けてました

また秋帆の導入したオランダ語から
日本語に定着した
言葉も少なくありません

「背負う」の意味から
「ランドセル」という言葉を
普及させたのは高島秋帆でした

秋帆は69歳で亡くなります
次回は秋帆の残したものを
考えたいと思います

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
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