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長崎の歴史:禁教令 2


江戸幕府による
禁教令は
慶長の禁教令とされます

その禁教令は
1612年の4月21日に
布告されました

まずその禁教令は
江戸、京都、大阪、長崎などの
幕府直轄地に対して
キリスト教教会の破壊と
キリスト教布教の
禁止から始まります

また諸大名に対しても
同様の施策を促しました


またこの禁止令では
家臣たちの中にも
キリスト教徒がいないかなど
調べられて

該当者には領地没収などの
改易に値する
処分が下されました

その後中には布告後も
信仰を続けた
旗本が最後には処刑されるなど
厳しい処置がとられました

この1612年の禁教令により
一連のキリシタン大名は
全て姿を消しました



更に1613年1月28日には
直轄地への禁教令の布告を
全国へと広げていきます

これは豊臣秀吉の
「バテレン追放令」を起草して
秀吉の名前で
全国へと布告していきます

この禁教令により
長崎と京都の教会は全て
破壊されて
布教に来ていた主な修道士や
宣教師は
国外へ追放されます

その追放された者の中には
著名な
日本人のキリスト教徒も
含まれてたとされます


これにより公的には
キリスト教は禁止になりましたが

まだ幕府はキリスト教徒の
処刑など徹底した
対策は行いませんでした

それにより
日本でのキリスト教の活動は
続いていました

また地下に潜伏するかたちで
追放を逃れる
キリスト教徒もまだいました

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑スウィートくん
固まってます
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