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長崎の歴史:島原の乱 2


密かに
組織化された一揆軍は
現在の
熊本県天草市の
湯島通称
談合島で会談をで行います

そこでキリシタンの間で
カリスマ的人気があり
美少年として有名だった

天草四郎(本名 益田四郎時貞)を
総大将にして

1637年12月11日
一揆を決行します


まず島原のキリシタンが
中心となり
長崎の有馬村の代官所に赴き

話し合いを要求するも
破棄されると
代官 林兵左衛門の命を奪います

島原の乱の勃発です

この一揆は島原の南目と
呼ばれる地域の
人たちの組織化の
成功によるものとされてます

島原藩はただちに
征討軍を繰り出します
島原の深江村で
一揆軍と戦いましたが


征討軍の疲労を考慮して
征討軍は
島原城に戻りました

一揆軍は島原城下へ
入り島原の町を焼き払います

島原藩は一揆に加わってない
領民に武器を与えて
一揆鎮圧を計ろうとしますが

領民の中にはその武器を手に
一揆軍に
入る者が現れました


一揆軍は勢いを増して
長崎日見峠を越えて
長崎の町へ入ろうとしますが

既に長崎から征討軍が
迫っていることを
知ると断念しました

これから数日後
熊本県の天草でも
一揆軍が蜂起しました

天草を支配していた
本渡城など
天草の拠点を攻撃しました

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑パンサーくん
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