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長崎の歴史:島原の乱 1


いよいよ時代は
江戸時代になります

「島原の乱」は
江戸時代初期に起こった
日本の歴史史上
最大の一揆とされています

その背景とされるのは
当時江戸幕府は
各藩の力を落とすために
石高よりも
高い年貢を設定してました


そのために長崎島原藩と
佐賀の唐津藩は
過酷な年貢を強いられてました

また島原は当時は
飢饉に襲われて
キリスト教徒も多く
キリシタン弾圧も進んでました

島原、唐津の両藩は
過酷な年貢取り立てと
キリシタン弾圧に
対する反発などから一揆へと
なりました

これは単なる
キリシタン一揆でなく
年貢取り立てに反発した
農民一揆でもあります


島原藩主の板倉重政の
年貢取り立ては
江戸城改築費用の
公儀普請を請け負ったり

また島原城新築の普請などで
更に
年貢を過酷に取り立てました

年貢を納め切れない
キリシタンたちは
拷問されたり処刑されました

こうした過酷な取り立ては
板倉重政から
勝家も継承してました


過酷な取り立てに耐えかねた
島原の人たちは
元々武士の身分であり
島原の指導的立場にあった

旧有馬家の家臣の人たちの
下に組織を形成し
秘密裏に反乱を計画します

また唐津藩では
藩主加藤忠広が組織を
守れない
大量の武士を改易と称して
武士の地位から
平民へと落としてました

唐津藩ではこうした
浪人たちが中心となり
一揆を組織化していきました

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
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