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長崎の歴史:福地桜痴 4


「立憲帝政党」を解党した
桜痴はその後
たびたび外国へ渡ります

以来多くの歌舞伎役者と
演劇論を語り
新しい演劇に取り組みます

1879年には
イギリスやフランスの
戯曲や小説を翻訳し
歌舞伎作者や落語家に
提供します

また演劇改良論を
書き始め
その実践をする劇場の開場を
目指すようになります


1888年には
明治政府が官報を発行した
ことにより政府寄りの

「東京日日新聞」は
経営不振になり
桜痴は日報社を退社します

この頃から桜痴は
小説を書き始めます

政治小説から歴史小説などを
執筆し
評論活動も続けました


1889年には
実業家の千葉勝五郎とともに
「歌舞伎座」を開場します

桜痴は自らの借金問題から
経営から離れますが

歌舞伎座の座付作者として
多数の脚本を執筆します


1903年には
舞台から身を引いて

翌年の衆議院選挙に
東京府東京市区から立候補し
当選を果たしますが

この時にはかつて
福澤諭吉と並び称された
社会的な影響力は
なくなっていました

1906年 福地桜痴は
議員在職中に
65歳の生涯を閉じました


↑スゥィートくん
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