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長崎の歴史:じゃがたらお春 4


前回 杉下右京さんの台詞
「謎というのは解けてみれば
当たり前のことの
積み重ねです」を引用しました

じゃがたらお春の手紙
「じゃがたら文」の謎の解明に
この当たり前のことを
取り入れて
考えてみたいと思います

時の政治の都合で追放された
お春は母国日本を
当たり前のように恋い慕います

そしてお春を引き取った
パタヴィアの家の人も
そんなお春に
当たり前のように同情します


ここでひとつ推測します
歴史を語るのに必要なのは
限界を設けない
自由な想像とイメージだといいます

ここはお春とお春を
引き取った
お春のもうひとつの家族を
イメージします

つまり日本へ手紙を
書くことを勧めたのは
お春のパタヴィアの
家族だったのではです

当時14歳だったお春には
パタヴィアから日本へ
手紙を書くなど
思いつかなかったと僕は思います


お春の日本への想いを知った
パタヴィアの家族は
お春に日本への手紙を提案します

当然日本の鎖国政策と
追放の経緯を知っているだろう
パタヴィアの家族は
安全で日本のお春の家族などに
危害などが及ばない手段を考えます

そこで日本に残っている
じゃがたら文が
更紗の布であることに目がいきます

本来ならば紙に書いたであろう
手紙が布に書かれていた
これがパタヴィアの家族や
手紙の運搬に関わった人たちの
工夫なのではないでしょうか


ではどうやって安全に
日本の役人などに
知られることもなく送ったのか

いよいよこの連載の
最大の謎に迫っていきます

その前提としてお春が
引き取られた
パタヴィアの家族を考えます

パタヴィアの家族は裕福な家庭です
更にお春を引き取ったとことから
日本の鎖国政策や
追放などの経緯知り得て
またそれなりの
地位の人たちと考えられます

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
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