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長崎の歴史:長崎 出島 2


1638年日本は
これまで出島に居た
ポルトガルとの
交易を断絶します

それまでオランダは
長崎の平戸にオランダ商館を
建てていました

日本がポルトガルと交易を
絶ったのは
島原の乱が関係していると
されています

長崎 出島は長崎の貿易商人が
主に資金を提供して
建てた人口島です


ポルトガルが出島から出たことで
出島は無人になりました

長崎の貿易商人たちは
自分たちが
お金を出して建てた出島が
無人になったことで

出島の有用性が無くなったことを
憂慮して
1641年に
長崎平戸のオランダ商館を
出島に移すように求めました


当時のオランダ商館長
カロンはこの提案を受け入れます

こうして以降200年間
出島は武装と
宗教活動が厳しく制限された

オランダの商館員たちが
貿易に
利用することになりました

江戸幕府は出島の使用に関して
いわゆる
家賃を取ってました


それはポルトガル時代には
今の金額になおして
年間約1億4千万円で

オランダ商館時代には
値段交渉をして
年間約1億円になりました

出島は扇形をしてますが
その理由として
当時の将軍の徳川家光に
出島建造に関して

お伺いを立てたところ
自らの扇を示したためとか

扇形にすることで
波浪の影響を少なくするため
とかいわれてますが
波浪の影響に関しては
土木工学的根拠はないとされてます

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑パンサーくん
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