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長崎の歴史:永井隆 1


長崎の歴史も
第2次世界大戦に入ります

永井隆さんは長崎に
原子爆弾が投下された際に
自らも大怪我を負いながらも

被災者のケガの
治療に
献身的にあたりました

永井さんは島根県 松江に
生まれました

長崎へ来たのは
長崎医科大学
(現 長崎大学医学部)へ入学
したためでした


長崎では浦上天主堂近くで
商売をしていた
森山家に下宿します

森山家は隠れキリシタン時代に
信者たちの
教会暦を伝承する帳方を
代々務めてました

後に永井さんの妻になる
緑さんは
この森山家の一人娘でした


そもそも唯物論者だった
永井隆さんでしたが

森山家の人たちや
緑さんから
聖書やキリスト教の話を
聞くうちに
キリスト教への
理解を深めるようになりました

 その後中耳炎にかかり
右耳の聴力が落ちたことから
当初志望していた
内科から放射線物理学療法を
学ぶことになります


永井隆さんの最初の転機は
1934年6月に
長崎 浦上天主堂で
洗礼を受けたことです

その後緑さんの仲介で
信徒組織の
聖ヴィンセンシオ会に入り
無料診断や無料奉仕の
活動を行ったことで

この経験が後の
献身的な治療行為に
つながったとされています

1944年に長崎医科大学の
助教授になり
物理学療法部長になりました
大戦中は
エックス線検診に従事します

永井隆さんの物語が
本格的に動いていきます

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
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