スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

長崎の歴史:岩永マキ


マルコ・ド・ロ神父が
長崎 浦上の丘で
救護活動にあたっていた頃

長崎 浦上の村でも
浦上四番崩れから戻ってきた
信徒たちも
ド・ロ神父と共に
浦上村で救護活動に
あたりました

その中心人物が
岩永マキです

岩永マキは1849年
浦上村に生まれます


浦上四番崩れでは
岡山に流配され
1873年 24歳の時に
長崎 浦上村に戻ってきます

1874年に赤痢の流行に始まり
台風の直撃に
天然痘の大流行の時に

献身的な救護活動をする
ド・ロ神父を助け
3人の女性信者とともに
救護活動に立ち上がります

岩永マキたちは
現在の浦上天主堂の場所に
小さな聖堂と
自分たちの小屋を作り生活します


まだ浦上村は貧しく
自分たちの
食事もままならない中

朝早くに起きて
救護活動に勤しみ
畑を耕して

親をなくして
捨て子になった子どもを
保護します

その時に建てた
児童養護施設が日本初の
児童養護院
浦上養育院になりました


岩永マキは
捨て子を保護する度に
「神様から
宝物をもらった」といい

その生涯を
児童養護と貧困の救済に
捧げました

その後長崎 浦上の丘で
修道院組織
「浦上十字会」を設立します

日本社会福祉事業家の祖
岩永マキは
1920年 71歳の生涯を閉じます

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑マップくん
今日もお食事してます
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2015年05月 >>
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリー