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長崎の歴史:フェートン号事件 2


フェートン号焼き討ちの
準備を進めるために

長崎奉行は
長崎港の警備を担当していた
佐賀 鍋島藩に
焼き討ちの準備を要請しますが

鍋島藩は長い間の太平に慣れ
港の警備の兵力を
本来の10分1の100名程度に
減らしていました


そこで急遽長崎奉行は
薩摩藩、久留米藩、熊本藩などに
応援の出兵をお願いします

長崎奉行所に避難していた
出島オランダ商館長のドーフは

焼き討ちなどの戦闘回避を求め
2名の商館員の生還を
長崎奉行に懇願しました

その背景には
すでにドーフは日本の
海軍は脆弱であり
イギリスの海軍とは比較に
ならないと
わかっていたためでした


翌10月5日
フェートン号は商館員1名を解放し
水や食糧、薪を要求して

要求が叶えられない時は
長崎港内の船を焼き払うと
脅迫してきました

人質を取られて十分な兵力も
ない状態の長崎奉行は
やむを得ず要求を飲むふりを
します

長崎奉行所は水と食糧
出島オランダ商館からは
豚と牛を提供しますが

水だけは少量しか提供せず
明日以降に十分な量を渡すといい

応援兵力到着までの
時間を稼ぐことにしました


大村藩から応援兵力が
到着したのは
10月6日未明でした

長崎奉行は焼き討ちの
準備に取りかかりますが

フェートン号は
人質のオランダ商館員を釈放し
長崎港外に去ったあとでした

結果日本側には人的、物的は
被害はなかったものの

手持ちの兵力もなく
むざむざと相手の要求を
飲まざるを得なかった
長崎奉行は責任をとるかたちで
自ら切腹しました

ナポレオン帝国が没落し
オランダ国が復活するのは
7年後です

その間長崎出島だけが
オランダの国旗を上げ続けました


↑お久しぶりです
かりんちゃんです

from Itsuki
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