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長崎の歴史:稲佐お栄 4


健康を損ねたお栄は
ホテル「ヴェスナー」の経営を
諸岡まつに任せます

お栄は長崎 稲佐の近くの丘に
ロシア高官のみの
小さなホテルを
建ててそこを住まいとします


しかし1904年に
日露戦争が勃発すると

お栄もいろいろな
迫害を受けます

1905年に日本は
ロシアとの講和条約が成立します


終戦後お栄は稲佐全地域に
ロシア人捕虜を受け入れ
そのお世話をします

その後お栄はもう一度
外国人相手に
ホテル経営をやりたいと思います


お栄は若い頃に住んでいた
長崎 茂木に
純洋風の「茂木ホテル」を
開業します

お栄は自らポスター貼りなどし
ホテルの顧客誘導に努めます 

お栄は稲佐の近くの丘の
隠匿所で息を引き取ります

67歳の生涯でした

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
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