こんばんは(^^)
いつもコメントありがとうございます♪お返事できてませんが、いつも有り難く読ませていただいてますヽ(´ー`)ノ
今日もメモ的ブログなので、追記へgoです( .. )
そういえば、地味にカメラ始めて一年が経ちました!
早いですね( ´ ▽ ` )ノ
撮りに行く回数が少ないのでまだまだ未熟ですが、ツイッターとインスタでほそぼそと活動してます(´∀`*)
明日久しぶりに撮影しに行ってきます!
昔はそんなんじゃなかったのに
って言われたので昔を振り返ってみました。
学生時代はなんでも思い通りになると思ってました。
同時に学生時代はずっと苛められてきてでも当時はあまり気にしてなかった。ムカつく事は多々あったけど、本当に気にしてなかった。
思い通りにならないと気付いたのは高校三年のとき。
兄弟二人が短大と専門学校に通わせてもらってたので自分も行かせてもらえると思ってたけど、行かせてもらえなかった。
そりゃそうだ。ろくに勉強もしないで成績も悪い馬鹿な私にお金なんか掛けたくないでしょうよ。
そのまま就職して、学生時代はずっと苛められてたけど就職してからも意味不明に苛められてそこで気付きました。
「自分は苛められる運命なんだ」と。
辛くて泣いたけど話を聞いてくれる人もいた。
色々な人に触れて色々なことがあって、いつしか「自分が我慢すれば済む」って考えにたどりつきました。
押し殺すようになったんだよね。だって面倒臭くなってしまったの。衝突することとか。我慢して折れてれば楽だから。
それ自体は間違ってないと思う。ただ間違えたのは、押し殺して溜まったストレスをどこにも吐き出さず溜め込んでしまったこと。
元々人付き合いが苦手で親にも深い話をしたりしなかったから、吐き出し方とかストレスの解消法を知らなかった。
24.5のとき、ネットで知り合った人に「親にも気を遣いすぎ」と言われて初めて自分が親に気を使っていることに気付きました。
背景には学生時代に悪さをしてきて兄弟の中で一番親不孝者だったからとくに母には逆らえなくなってた。後ろめたさがあるから。まだ罪を償えてないんだと思う。今自分が逆らえないのはそのときのツケが回ってきたんだと思ってる。
自分を出さない日々を何年も続けて来たから母や親戚の中で私は幼い頃の「気の強い柊」で止まってしまったんです。
自分を出さなかった自分が一番悪い。でもどうしても出せなかった。
だから今更対人恐怖症だなんだ言っても母は理解して信じてくれないんだなと思う。
だから「昔はそんなんじゃなかったのに」とか「お前は対人恐怖症じゃない」と言うんだろうな。
普段の家庭でのごく普通の私の姿と昔の私の印象が強いから。
もっと自分を出して話せていれば信じてくれたかもしれない。
自分が男性恐怖症だと知ったのは多分7年くらい前でつい最近までそのことをずっと隠してたから。
人の視線が怖くなったのは男性恐怖症を発症したのとほぼ同時くらいだと思うし、会食恐怖症になったのはし4.5年くらい前だけどそれも話さなかった。
確かに色々なところにひとりで出掛けるしお泊まりもする。
でもいつもどうやって人ごみや異性を避けようか考えて悩みながら行動してるけど母からしたら「行けてる」ことだけが事実。
だから言われるのかもしれない。
「本当にダメだったら仕事にも行けないよ」
って。
それを言われるのが一番悲しい…。
電車内でどれだけ恐怖を感じてると思ってるの?
男性ばかりの会議に出る時に頭が真っ白になって意識失いそうになることもあるのに。
定時上がりの駅のホームが人が多くて怖いから避けたいと思ってることも知らないでしょ?
物事が覚えられなくなったのを言った時に笑って「ヤバイね」って。笑えるレベルじゃないのに真剣に聞いてくれない。
でも…理解してくれないのも信じようとしてくれないのも全部ツケが回ってきてるんだと思う。
ただひとつだけわかってほしい。
私は強かったんじゃなくて強がってただけ。
弱い自分に気付いてたから強がってただけ。
本当は最初から弱かった。
書いてたら涙出てきたからこれ以上書くのやめよ。
親に理解してもらえないメンタル弱い人は親とどんな距離感なんだろ。