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ネットコメントの炎上について


ネットでの些細なコメント等が
やがて炎上を招くことは
以前にもblogに書きましたが

最近は攻撃する側と
攻撃される側が
お互いに弁護士に相談する等
意外に深刻になっている様です

些細なコメントのやり取りから
言葉が次第に攻撃的になり

遂には"コ×ス"や
損害賠償請求を本気で
弁護士に相談に行く等まで
エスカレートしているようです


遂にとある弁護士が
両者に和解を呼びかけて
集まって貰うと
約20名が集まりました

この弁護士は集まった人たちを
見てびっくりしました

損害賠償請求の要望書の
表現などを見ると
損害賠償請求理由は荒唐無稽な
ものばかりで
表現も実に幼稚でした

ネット情報を鵜呑みにして
「◯◯だから〜です」を
繰り返すだけで理論を成してません


しかし集まってきた人たちは
40歳代から50歳代が
中心で10歳代20歳代は
全体のわずかです

理論立ててきちんと話すと
皆理解して
和解は簡単に済みました

彼らの主張の大半は
 「この国の利益を守るため」で
「正義のために行った」でした

しかしこの弁護士の見解は
少し違ってました


彼らにはいわゆる「愛国」ではなく
自分たちの考えや意見に
反する人物への
「蔑視」や「軽視」にあるのです

こうしたネットを介したグループは
年齢層が高くなるほど
ハマりやすくなり

若い世代層ほど進学や就職を
きっかけに
グループを抜けるそうです

またこうしたグループを
形成している人たちは
現実の世界と
ネットの中の世界感が
全く変わってくるそうです

〜続く〜

from Itsuki


↑ラズリーちゃん
一つの世界に生きてます

秋だから隊長まつりです


隊長から要望がありました
最近自分の出番が
少なくのではないかと

そこで秋の隊長まつりです


朝晩すっかり寒く
感じるようになりました


皆さん体調管理は
大丈夫ですか?


隊長は隊長だけに
体調はバッチリです


以上隊長でした

from Itsuki

杉下右京の挨拶


伊丹「おい、芹沢
本当にここが最後なんだな?」

芹沢「ええ、被害者の携帯の
GPSは
ここが最後になんですが」

冠城「それ青木の解析ですね
信頼出来るのでしょうか?」

失礼ながら青木くんの
解析技術は
警視庁の折り紙付きですよ


青木「そうですよ
携帯のGPSは
間違いなくこの建物が最後です」

伊丹「しかしここカフェです
ここが
犯行現場なわけないでしょう」

芹沢「確かにカフェで
犯行は無理ですよね」

ではこの地点の上は
如何でしょう

青木「犯人は鳥だったとか!?」


冠城「そんなわけないでしょう」

この建物は3階建てです
カフェの上の階は
会議室などに
貸し出されていましたが
今はどこも空き部屋のようですね

伊丹「そうか!!
GPSはポイントは指すが
高さまでは表示しないからな」

芹沢「先輩、上の階いきましょう」

ー・ー・ー・ー・ー

やはりありましたか
犯行の痕跡が

芹沢「さすが杉下警部
伊丹先輩では・・・」

伊丹「だまれ!!」
ーバシッ!ー


今日も挨拶して
おしまいにしましょう

警視庁・特命係
杉下右京です

同じく
冠城亘です

同じく
青木年男です

警視庁捜査一課
伊丹憲一です

芹沢「そこんとこ
ぶっちゃけよろしこ!」
伊丹「他局だし古いだろ!!」
ーバシッ!ー

相棒Season17
本日9時
皆さんとお会いしましょう

from
Ukyo Sugishita
&
Itsuki


↑杉下右京ではなく
今日の一樹

フェートン号から幕末へ 3


「フェートン号事件」から
「ペリー来航」へのつながりから
更に幕末へのつながりへと
話を考えて行きたいと思います

フェートン号事件で
長崎奉行所は何の抵抗も出来ず
相手の要求のまま
水と食料を渡してフェートン号を
帰してしまいます

この一連の出来事には
長崎奉行所のみならず幕府にも
批判する者が現れ出します


「もはや徳川幕府に
日本を守り導く力はない
幕府を倒して新しい日本を作る
天皇を中心とした
本当の日本を作り直そう」

これが尊皇攘夷論へと
移り変わって行きました

一方で鎖国を守り
外国の船はことごとく
打ち払う
幕府側に付く者たちも
出現して来ました

そしてペリー来航です


1854年に大艦隊で
日本の江戸湾に接岸した
ペリーは
あえて持っていた兵力は使わず
近代の軍艦を見せつける事で
開港を迫ってきます

これに対して江戸幕府は
艦隊への攻撃は出来ず
むしろ好意的に接し
港の開港を
むざむざと約束してしまいます

結果的にフェートン号事件と
同じように
外国の兵力に屈したように
そのまま要求を受け入れたのです


これはフェートン号事件の際の
日本の対応から
「日本組み易し」と判断され

大艦隊を見せる事で日本との
交渉を最初から有利に
持っていったとも考えられます

しかしこの弱腰の対応はやはり
多くの日本人に
失望を与えました

ここから幕末の始まりです
倒幕軍と幕末軍の
闘いが始まり
日本には沢山の志士が誕生しました

さて幕末への変化は
長崎にどのような影響を
与えたのでしょうか
次回から考えてみたいと思います

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
変化はしません

お知らせ


土曜日の疲れが響いて
いるのか
朝から体調を崩しています

コメ返などは
明日返させて頂きます

よろしくお願いします

from Itsuki

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