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長崎の歴史:フェートン号事件 1


「長崎けんか坂騒動」の時
高木家に討ち入った
深堀藩蔵屋敷

この蔵屋敷とは
長崎港を警備するために
各藩より
出されたものですが

この蔵屋敷による警備強化の
きっかけになる
事件が今回の話になります


当時長崎港での貿易を
許されていたのは
オランダと中国の2ヶ国だけです

しかし長崎港にはそれでも
日本との交易を求めて
イギリスやフランスなどの船が
度々やってきていました

そうした外国船から港を
守る役割が
各藩の蔵屋敷の役割でした

そんな最中
フェートン号事件は勃発します


16世紀末フランス革命が起きて
1793年にオランダは
フランスに占領されてしまいます

結果オランダ統領はイギリスに
亡命して
オランダは革命軍による
パタヴィア共和国が成立します

日本との貿易の役割を担っていた
オランダ東インド会社は
旧オランダ支配下の
貿易商がアメリカの船を
雇用するかたちで
日本との貿易を継続していました


当時出島のオランダ商館長は
オランダがフランスに
占領されたことは
既に知らされていましたが

この事は長崎奉行所には
告げられせんでした
これが知られると
出島オランダ商館はもちろん
オランダとの貿易にも
悪影響を及ぼすと考えたからです

つまり実質オランダ国は占領され
なくなったにも関わらず
長崎出島だけは
旧オランダ国境を掲げ続けてました

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
迷っています
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