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長崎の歴史:けんか坂騒動 8


前回までで
長崎 けんか坂騒動の謎として

深堀藩士たちも高木家の番頭たちも
出掛け先からの帰り道でした

季節は冬で時間は夕方
深堀藩士たちは
帰り道を急いでいましたが

記録によれば深堀藩士は
深堀藩蔵屋敷とは
坂を下るという
帰り道をとは逆方向を進み



同様に屋敷への帰り道の
高木家の番頭たちも屋敷とは
逆方向になる坂を上がってきます

お互いに帰り道なのに
遠回りを選んでいる

これが長崎 けんか坂騒動を
解明するカギになります

まず考えられることは
実は記録が誤りで
双方とも遠回りはしていない


二つ目に帰り道を
急いでなどなく
また違う用事があり
あえて遠回りする道を選らんだ

そしてかなり乱暴な推測ですが
そもそも
「けんか坂騒動」などなかった
(誰かの創作の類だった)

だから実際の地図とは
矛盾した記録が書かれてしまった


しかしそうなると
いささかお手上げ気味です

けんか坂騒動が起きたのは
1701年です
300年以上昔の出来事を
どのように
検証すれぱいいのでしょうか

しかしここで新しい文献が
発見されました
けんか坂騒動の一部始終を
見ていた人の
書き付けいわば日記です

これが謎を解いてくれました

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
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