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役に立たない木


孔子の話の中に
「無用の用」 というものが
あります

ある時とある人が孔子に
尋ねます

「この木は板にもならず
柱にもなりません
ならば切り倒して薪にでも
しては如何ですか」

すると孔子が話します


「あなたとのこの会話こそ
無用というものです」

孔子は話しを続けます

「例えばこの地面だが
人が立つのに役に立つから
地面だろうか
役に立たないからといって
掘り下げたりするだろうか?」

「そう考えたら無用こそ
用の足しになっていると
解りそうなもの」と
孔子は巧みな比喩で返しました


そもそも役に立つ立たないを
人を基準に考えるのは
いささか奇妙でもあります

そもそも
人の役に立つ立たないで
人の価値を測るのは
おかしな話しです

私たちは
時に人の役に立つようにと
教えられて育ちました

しかし
役に立たないからといって
それは無価値でしょうか


かつて
人はもっと寛容だったはずです

孔子は語りました
木としての生涯を終えた木を見て

「ご覧なさい この木は
人の役に立たなかったから
木として
立派な生涯を終えたのだ」と

役に立つ立たないで
価値を決められて
立たないからと削除されたら

人生はすり減り
疲れ果てた光景になるのです

from Itsuki


↑マップくん
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