長崎の「身代わり天満宮」ですが
本来は「梅園天満宮」だった
らしいです

長崎の丸山町の氏神様として
丸山の芸子さんなどから
「今日も無事に勤めが
出来ますように」と

参拝する女性などが
多くいたようです


そんな梅園天満宮が何故
身代わり天満宮となったのでしょう

その言い伝えが説明版に
ありました

ー天満宮創建者の丸山町の乙名
安田治右衛門が
現在の丸山公園横の
丸山交番付近で
梅野五郎左衛門に襲われましたー


ー直ぐに自宅に
運びこまれましたが
不思議なことにどこにも
怪我などありません

代わりに神社の天神様が
血を流して
倒れていたそうですー

それ以来この天満宮は
「身代わり天満宮」として
親しまれるようになりました

花街の丸山などに近いことから
芝居や相撲などの
興行も行われていたそうです


(↑身代わり天満宮境内のねこ)

また戦時中には出征を
命じられた者は
この天満宮にお参りにきたそうです

この神社の境内には狛犬の
いわれなど
まだまだ史跡がありそうです

またじっくり散策
したいものです

from Itsuki